柳美里(ゆう みり)さんは1968年6月22日生まれの2021年今現在53歳です。国籍は韓国となっています。茨城県土浦市で生まれましたが、1歳を迎える前に神奈川県横浜市に引っ越しをしており、それ以降は横浜市で育ちました。
その後、横浜共立学園高等学校を1年で中退し、東由多加さん率いるミュージカル劇団東京キッドブラザースに最年少で入団しています。そちらで演劇活動を経て1994年に小説家としてデビューし、今現在も小説家として活躍しています。
1994年にデビュー作として 「石に泳ぐ魚」を発表しました。その後も「家族シネマ」(1997年)や「8月の果て」(2004年)など様々な作品を発表し、1997年には芥川龍之介賞を受賞、2020年には全米図書賞を受賞しています。これだけではなく他にもたくさんの賞を受賞しています。
2015年に神奈川県鎌倉市から南相馬市小高区に移住しており、現在は長男と内縁の夫と生活をしているようです。そして「本屋フルハウス」というお店を自宅で経営しています。
そこで今回は柳美里さんの子供(息子)の父親について、大学はどこなのか、現在の様子について、子供の名前と画像はあるのか?さらには、柳美里さんの生い立ちと旦那さんについても調べて行きたいと思います。
柳美里の子供(息子)の父親は?
柳美里さんには息子さんが一人います。息子さんは2000年1月17日9時24分に生まれています。産まれた時は、3060gの大きい赤ちゃんだったそうです。息子さんは当時お付き合いしていた既婚者の男性との間にできた子供で、後にこちらの男性とは破局しています。
破局後は柳美里さんがシングルマザーとして息子さんを育てています。息子さんの父親について調べてみましたが、一般の方ということで、名前や年齢など詳しい情報は出てきませんでした。
柳美里さんは16歳の時、当時所属していた劇団「東京キッドブラザース」を主宰していた東由多加(ひがし ゆたか)さんとお付き合いをしていたそうです。この時、東由多加さんは39歳でかなりの歳の差がありました。二人は交際後すぐに同棲も開始しましたが、約10年の同棲生活の末、破局しています。
破局の理由はわかりませんが、破局した後も東さんと柳さんは仲がよく、相談相手としていい関係となっていたようなので、喧嘩別れなどではないようです。
そして5年ほど月日が経った頃、柳さんが不倫相手との間に子供を授かり、その後、破局しました。柳さんは困ってしまい、東さんに相談しに訪れます。しかし、当時の東さんは、体調がとても悪そうな様子だったため、柳さんは心配して東さんを病院に連れていきました。そして、検査を受けさせると、末期の食道がんということが分かりました。
結果がわかると、柳さんは、東さんから同居を持ちかけられたそうです。柳さんは、後に「お互い厳しい状況だったけど、お互い生きるというほうに向かって顔を上げようというか、そういうことで一緒に暮らし始めたんです」と語っていました。
どうやら東さんはこの頃には生まれてくる子供の育ての親になることを決めていたようです。その後、東さんは、当時日本ではまだ認可されていなかった、抗がん剤治療を受けるために渡米しています。
抗がん剤の副作用は激しく、かなり苦しまれていたようですが、柳さんの出産予定日の頃には帰国しています。柳さんの陣痛が始まると、分娩室に入る直前まで、柳さんにずっと付き添っていたそうです。そして、柳さんが無事に元気な男の子を出産すると、東さんは生まれてきた赤ちゃんを自分の子どものように可愛がっていましたが、その3ヶ月後に亡くなってしまったそうです。
2001年6月にこれらの出来事を赤裸々に綴った自伝小説「命」を出版しています。そして翌年に第7回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞を受賞。「命」はその後「生」「魂」「声」と続編を出版し、4部作の大作となっています。気になる方はぜひ読んでみてください!^^
柳美里の子供(息子)の大学と現在は?
画像出典元:sawasaura
柳美里さんの息子さんの大学についてですが、息子さんは2018年4月から、東京農業大学生物産業学部北方圏農学科(北海道・オホーツクキャンパス)に通っているそうです。2018年から大学に通っているということなで現在も大学生だと思われます。
柳美里さんは福島県で生活しているので、息子さんは北海道で一人暮らしをしているようです。息子さんの卒業した中学校は鎌倉市立御成中学校で高校は福島県立原町高校を卒業したという情報がありあました。高校では吹奏楽部に所属していたそうで、フルートを担当していました。ちなみにフルート自体は4歳の時から習っていたそうです。
柳美里の子供(息子)の名前と画像は?
柳美里さんの息子さんの名前は、丈陽(たけはる)さんです。息子さんのお名前は、高麗神社・60代宮司・高麗文康さんが命名したそうです。とても素敵なお名前ですよね!そしてこちらが柳さんの息子さんの写真です。
わたし49歳、息子18歳。
いっしょに暮らすのは、あと2週間。
わたしは来週、小説の取材でベルギーに行くので、それを引くと、あと1週間。
もうすぐ、さよならだ。 pic.twitter.com/k4k1p5c0Gi
— 柳美里 (@yu_miri_0622) March 1, 2018
お母様に似て、優しそうな顔立ちをしていますね!息子さんはどんな道に進むのか、今から楽しみです。
柳美里の生い立ちと旦那は?
日本を代表するグラフィックデザイナーの原研哉さんと、フルハウスの店主・柳美里がはじめて出逢ったのは、『タイル』の装丁を原研哉さんにお願いにうかがった時なので、20年前です。『ゴールドラッシュ』『自殺』『雨と夢のあとに』『柳美里自選作品集』1巻、2巻が原研哉さんのデザインです。(雪歩) pic.twitter.com/6Eiw8vbUHT
— 柳美里 (@yu_miri_0622) April 28, 2019
柳美里さんの生い立ちについて調べてみると、壮絶な人生を歩んできたことがわかりました。柳さんは幼少期に複雑な家庭環境で育てられたそうです。
柳さんのおじいさんは、韓国で共産主義者でした。このことから、柳さんのおばあさんと、当時まだ子どもだった、柳さんのお母さんを含めた子ども4人を見捨て、逃げるような形で単身で日本へ渡られたそうです。その後、柳さんのおじいさんは、日本でパチンコ店を経営していました。
しばらくして、おばあさんも、子どもたちを連れて日本へ渡り、おじいさんを探しに来たのですが、おじいさんには、すでに新しい家族がいたそうです。この事実に絶望したおばあさんは、子どもたちを置いて失踪してしまいました。
その後、大人になった柳さんのお母さんは結婚しました。また、柳さんのお父さんは、おじいさんが経営しているパチンコ店で、釘師として働いていましたが、柳さんが生まれて2ヶ月経った頃に、おじいさんが信頼していた方に騙されてしまったことがわかり、韓国に帰ることになってしましました。そのため、柳さんのお父さんは他のパチンコ店に再就職することになったそうです。
その頃、柳さんのお母さんも、生活費を稼ぐために、キムチを売る仕事をしていましたが、キャバレーのホステスの方がもっと稼げると、叔母さんに誘われてホステスとして働くようになりました。その為、柳さんら兄弟4人は、両親が帰ってくる夜遅い時間まで、子供たちだけで過ごさなければならない日々を過ごしていました。
しばらく経つと、柳さんのお母さんはホステスで知り合った男性と付き合うようになり、柳さんの小学校卒業式の前日に家出してしまいました。そのことからお父さんは激怒し、柳さんはお父さんから暴力を振るわれるようになってしまいました。
柳さんは、そんな複雑な家庭環境からか、幼稚園の頃からずっといじめられ続けていたそうです。他にも、在日韓国人であることを隠し続けていることや、それを恥じている自分に罪悪感を感じてしまうなど、心の葛藤とも苦しみ続けられていたそうです。
当時の柳さんは安心できる場所が一箇所ありました。その場所はというと、なんと墓地だったそうです。柳さんは、何かあると墓地に行き、お墓の中にいる、亡くなった人たちと、会話をしていたそうです。
そして、中学2年生のころには、リストカットをしたり、冬の冷たい海に身を沈めるなど、自殺行為を実行しては失敗して生き残る、ということを繰り返していたそうです。その後、柳さんは高校に進学しましたが、家出を繰り返し、補導も何度もされたことから、高校1年生の時に強制的に自主退学させられています。
また、当時、柳さんは家出をしていたお母さんと、一緒に住んでいたようですが、口喧嘩が絶えず、家を出たいと、強く思うようになり、思いつきで、劇団「東京キッドブラサース」のオーディションを受けると、見事合格。それから、柳さんは、演劇に夢中になり、役を演じることで、これまで抑えてきた感情を、解放していかれたそうです。
このような壮絶な人生を歩んできましたが、今現在、柳美里さんは福島県で村上朝晴(ともはる)さんという男性と幸せに暮らしているようです。村上さんとは、籍は入れていないそうですが、内縁の関係ということでした。
村上さんは2009年11月7日で26歳になられたそうなので、今現在38歳ということになります。こちらもかなりの歳の差がありますよね!ちなみに村上さんと柳さんの息子さんは、兄弟のように仲がいいそうです!
柳美里さんのまとめ
というわけで、今回は柳美里さんについて調べて行きました。壮絶な人生を歩んできたようですが、今は福島県で内縁の旦那さんと共に幸せな日々を過ごしているのではないでしょうか。今後の小説家としての活躍も期待しています!
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