今回は日本でかなり有名な演歌歌手である細川たかしさんについて探っていこうと思います!レコード大賞3冠するなど数々の賞をとってきた細川さん。彼のプライベートはどのような生活なのでしょうか?
細川たかしの子供(息子)の名前は?
演歌歌手として超一流の細川たかしさんですが、そのプライベートについて、まずは子供さんについて色々と探っていきたいと思います。細川さんは1974年22歳の頃にご結婚されており、同じ年に息子さんが産まれています。
気になるのは、息子さんのお名前ですが、調べてみたところ、譲(ゆずる)さんというそうです。とてもオシャレな名前ではないでしょうか。さすが、言葉を生業とする演歌歌手の息子さんのお名前だな、という感じがしますね!
細川たかしの子供(息子)の画像はある?
さて、お名前が判明したところで、次に気になるのは、そんな息子さんの画像はあるのか?ということではないでしょうか?
残念ながら、息子さんの画像に関しては調べても出てくることはありませんでした。非公開にしているのかもしれません。
ということで、ついでに子供さんの学歴についても調べてみましたが、学歴については色々な噂がありますが、1番多いのは暁星高校に通っているのではないかという説です。
偏差値も高く名門校と言われる学校の1つですね!現在は作詞家として活動しているようで、作詞家としての名前は柚木由柚(ゆぎゆゆ)というそうです。
しかも、2005年に細川たかしさんが発表した『城崎恋歌』の作詞を担当していました。やはり、小さい時からお父さんの歌声を聞いていたことで少なからず影響はあったのでしょうね。
細川たかしの弟子はこのみと流星?
細川さんは数々の賞を取っている有名な演歌歌手であることもあり、その歌声に憧れて弟子になった人は何人かいるようです。その中でも1番弟子と言われるのが、杜このみさんです。
画像出典元:杜このみ、浴衣姿で三味線弾き語りを初披露 – 文化通信.com
1989年7月2日生まれの31歳(2021年現在)で、北海道札幌市出身です。細川たかしさんと北海道出身という部分が共通してますね!
4歳の頃から北海道の民謡を歌うなど歌に関しては小さい頃から関心があったようで、18歳の頃NHKの『それいけ!民謡うた祭り』に出たことがきっかけで細川たかしさんに目を付けてもらい弟子になる事になったようです。
デビュー前も音楽番組などに出演したりしていましたが、2013年『三味線わたり鳥』でデビューをかざると、日本レコード大賞新人賞を受賞しました。
その後も毎年のように極を出し、2017年にも日本レコード大賞で「日本作曲家協会選奨」を受賞しました。細川さんと負けず劣らず凄い活躍ですね!
そんな彼女ですが、2020年8月に大相撲の高安関と入籍し同時に妊娠も発表しています。約2年間交際を経て結婚に至ったようです。幸せいっぱいですね!
高安さんは故障が続き成績が伸び悩んでいたようですが、結婚後はこのみさんが毎日健康の為に食事面でサポートするなどしていたおかげで照ノ富士に勝ち越すなど成績も上がり調子のよう。旦那さんも幸せそうですね!
杜このみさんの他にも細川たかしさんのお弟子さんがいらっしゃいます。それは、彩青(りゅうせい)さんです!
画像出典元゙: 日本コロムビアオフィシャルサイト
2002年8月29日生まれの18歳(2021年現在)で北海道岩見沢市出身です。彩青さんも細川たかしさんと同じく北海道出身ですね。
5歳の頃から民謡を歌うなど歌への興味があったようで、7歳の頃には津軽三味線を始めたそうです。そして、11歳の頃に細川たかしさんの元に弟子として付き音楽業界に足を踏み入れました。
細川たかしさんと彩青さんの出会いは音楽番組がきっかけだったようで、11歳での弟子入りを許されたということは相当な実力の持ち主だったのでしょう。
津軽三味線が弾ける彩青さんは、細川さんの歌声に合わせて演奏したこともあり、このコラボレーションも大きな話題になっていました。
2019年6月に『銀次郎旅がらす』で念願のデビューを果たし、未成年でのデビューということもありこれからの期待の大型新人だと言われています。
細川たかしさんの二人のお弟子さんは細川さんに負けず劣らず活躍されているようで、これからに期待が高まりますね!!
細川たかしとはどんな人物?
画像出典: 細川たかし音楽事務所 (hosokawa-music.jp)
ここからはそもそも細川たかしさんがどのような人物なのかについてみていきたいと思います!細川たかしさんは、1950年6月15日生まれの70歳(2021年現在)で、北海道虻田郡真狩村の出身です。
歌手を目指したのは中学生の頃。きっかけは、井沢八郎の『北海の満月』を好きになったことのようです。中学校の卒業アルバムでもこの作品をあげており、彼の少年時代にはこの作品が強く影響したようです。
その後、札幌のすすきののクラブで音楽活動をしていた細川さんは、顔立ちが似ていることから『札幌の森進一』と呼ばれるようになりました。
その噂を聞いた東京の音楽関係者から声がかかり、メジャーデビューすることになったそうです。こんなシンデレラストーリーのような話本当にあるんですね!
1975年『心のこり』で歌手デビューを果たした細川さん。その伸びやかな高音と力強い歌声が音楽関係者に評価され、日本歌謡大賞や日本レコード大賞で受賞を果たします。
その後数年の間は目立つようなヒット作は生まれませんでしたが、1982年『北酒場』で日本レコード大賞を受賞。
1983年にちあきなおみのカバー曲『矢切の渡し』を発表し日本レコード大賞を受賞。1984年には『浪花節だよ人生は』を発表し日本レコード大賞を受賞と、見事3冠を達成しました。
数々の栄誉を成し遂げてきた細川さんも現在では60歳を超えてらっしゃいますが、いまだにその伸びやかで力強い歌声で世の演歌好きを魅了しているようです。
細川たかしの嫁の病気は?
画像出典元: 嵯峨嫁の稀な日記 (ameblo.jp)
先ほど少し触れましたが、細川たかしさんは1974年22歳の時にご結婚されています。奥様の名前は和子さん。和子さんとの出会いは細川さんが北海道にいた頃、すすきののクラブで歌手活動をしていた際、クラブで働いていた和子さんと知り合ったそうです。
細川さんは和子さんに一目惚れ、年下が好きではない事を知った細川さんは年齢を偽ってまで和子さんに猛アタックし交際3ヶ月という短い期間で結婚し子供を授かりました。
デビューが決まり上京することを悩んでいた細川さんを後押ししたのも奥様だそうです。昔からずっと細川さんは奥様に支えられていたのですね。
2005年細川さんが大手事務所から独立し自分の事務所を立ち上げた時も、事務所を取り仕切っていたのは和子さんだったようです。
仕事面でも細川さんを支え続けた和子さんですが2010年頃和子さんの身体に異変が起きます。体調が悪い日が続き入退院を繰り返すようになった和子さんは東京にあった家を売り払い、北海道の自宅で療養生活を送っていました。
細川さんの親族も近くに住んでいたので家族みんなで和子さんを見守っていたそうです。細川さんも仕事の合間には必ず北海道に出向き、和子さんとの生活を楽しんでいました。
しかし、2018年11月細川さんの願いもむなしく和子さんは天国へ旅立ってしまいました。デビュー前からずっと細川さんを支え続けた和子さん。彼女の死は細川さんにとってとてもつらいことだったでしょう。細川さんはこのようにコメントしています。
「デビュー前からずっと陰ながら支え続けてくれた妻を亡くし、言葉にならない悲しみではありますが、『いつも明るいたかしさんで』が妻の口癖でしたので、今後も明るい細川たかしで頑張ってまいりたい」
奥様が亡くなった今たしかにさみしさはあるかと思いますが、『いつも明るいたかしさんで』という言葉を胸に今後も活躍してほしいですね。
この記事のまとめ
というわけで、今回は細川たかしさんのご家族のことやお弟子さんのことについてまとめさせていただきました。
レイザーラモンRGさんのモノマネブームによって若い世代からも人気のある細川さん。これからの活躍にも期待が高まります!!
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