今回は、タレント活動や小説家
としても活躍している小島慶子さん
について見ていきたいと思います!
小島慶子さんと言えば、オーストラリアで生まれお父様の都合で日本国外での生活が長く、帰国後は日本の学校に通い、大学は学習院大学法学部政治学科を卒業、1995年TBSに入社して、15年間アナウンサーとして活躍されました。
2010年に退社後はフリーに転身している小島慶子さんのプライベートに迫って見ていきましょう。
子供の学校は?娘?
小島慶子さんは30歳の時にご長男を出産され33歳の時に次男を出産されています。お子さんは2人とも男の子で娘さんはいらっしゃらないようですね。
そんな小島慶子さんは現在お子さんと、早期退職をされた元・番組ディレクターの旦那様と一緒に小島慶子さんの出生地であるオーストラリアで生活されています。
お子様たちもオーストラリアの学校に通っており、小島さんはオーストラリアでのんびりと子育てをされているようです。こちらがお子さんの画像です
さすがに顔出しではありませんが、なんだかオーストラリアって感じで、こんな素敵な場所でのびのび育ったらとてもいい子になりそうですね!
母親との確執がかわいそう?障害?現在?
歯に衣着せぬ発言やはっきりとした性格で有名な小島慶子さんですが第2子出産後、不安障害と診断されました。その原因としてあげているのが小島慶子さんの実母との確執だと言います。
そこにはどんな確執が生じていたのでしょうか?掘り下げて見ていきたいと思います。小島慶子さんは幼い子供のころから母親に
「上場企業に勤める男性と結婚することこそが女の幸せ」
だと教えられ続けるうちに他人の目を気にして生きる子供になってしまったと言います。
小島慶子さんが学生時代に友人の話をすると母親はその友人の在籍名簿で住所や親の勤め先や役職まで調べあげ友人までも選別する始末。
そんな母親と幾度となく衝突しては子供の自分はこの母親の作る食事がないと生きていけない無力さを感じ、出される食事を食べては吐いてしまう『拒食症』になってしまいました。
しかしそんな我が子の心身を心配するのではなく、母親はトイレが汚くなるなどと言って我が子に嫌悪感をあらわにしたそうです。あまりにかわいそうな話ですよね、、、、
ここに書いている小島慶子さんとお母様とのエピソードはほんの一部、同じ子育てをする母親としてはとても悲しい話だと胸を痛めました。
テレビで見る小島慶子さんの過去にそんなことがあったことは知るよしもありません、小島慶子さんはどうやってそんな確執から解放されたのでしょうか?
そんな母親との確執を経験した小島慶子さんですが自身も子育てをしていく中で母親のことを認めることができるようになったと言います。
現在では、カウンセリングを通じて小島慶子さんは自身の感情を整理し自分の幸せが壊されない程度の距離感で付き合っていく策を見いだせたようです。良かったですね( ´ ▽ ` )ノ
姉と本?
小島慶子さんには9歳年上のお姉さんがいるようなのですがこのお姉さんも先に書かせていただいたお母様と同じような性格の持ち主だったようで、小島慶子さんとは価値観のズレがあると語っています。やはり世代間のギャップという壁があったのかもしれませんね。
そんな小島慶子さんは母親との確執とそこからの解放を一冊の本にして出版しています。それが「解縛(げばく) 母の苦しみ、女の痛み」
です。このように執筆することで、気持ちの整理ができるようになったのかもしれませんね。
現在、小島慶子さんは月に20日は日本でお仕事をされ、オーストラリアには10日の滞在。旦那様も専業主夫として家庭を守っているということなので小島慶子さんは一家の大黒柱ということになりますね。
ということで、今回はバリバリ働くキャリアウーマン・小島慶子さんについていろいろと調べてきましたがいかがでしたか?
幼少期の母親との確執は克服するまでとても悩まれたことでしょう、しかしその発言力や女性としての強さは多くの働く女性の共感を得ると思います!これからもそんな小島慶子さんを応援していきたいですね!
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