三國連太郎の息子は佐藤浩市?確執と共演?子供は何人?歯を抜いた?

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今回は俳優として多くの作品に出演されてきた、三國連太郎さんについて調べていきたいと思います。普段明かされていないような部分について深く掘り下げていきます!

 

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三國連太郎の息子は佐藤浩市?

 

画像出典元: スポニチ Sponichi Annex 芸能

 

三國連太郎さんには息子さんがいらっしゃり、それは俳優として活躍されている『佐藤浩市』さんです。三國さんの本名は佐藤政雄(さとうまさお)さんというので苗字が一致しますね。佐藤浩市さんは1960年12月10日生まれの60歳でテアトル・ド・ポッシュという事務所に所属し主に俳優として活動されています。

 

お父様が俳優だったこともあり、小さい時から『東映東京撮影所』や『日活調布撮影所』などに連れていかれていたため必然的に俳優を目指すようになっていたそうです。高校卒業後、多摩芸術学園映画学科に入学した佐藤さんは在学中にNHK『続・続事件』に出演し俳優デビューを果たします。

 

20代から30代にかけてはそれなりに出演作は多いものの脇役が多くぱっとしませんでしたが、三谷幸喜監督作品などで個性的且つ濃い存在感を放ち、現在では主要キャストとして多くの作品に出演されています。その演技力から舞台のオファーもあるものの、佐藤さんは「自分は映像で際立つ役者である」とコメントし現在でも舞台への出演は断り続けているようです。

 

プライベートでは、1986年にモデルの女性と結婚し1児をもうけますが佐藤さんの不倫騒動が原因で3年後に離婚されています。その後1993年に女優の広田亜矢子さんと再婚されました。1996年8月16日には長男の『寛一郎』くんを出産され、寛一郎くんは俳優をされています。

 

彼も佐藤浩市さんの幼少期と同じく、小さいころから佐藤さんの仕事現場に連れて行ってもらっていたため映画好きではあったようですが当時は俳優になることは考えておらず、俳優になることを決意したのは18歳になったころだったようです。

 

画像出典元:シネマトゥデイ (cinematoday.jp)

 

「役者になりたいと父親に相談することほど僕にとって恥ずかしいことはなかったんです。生半可な気持ちでは言えなかった。その気持ちが固まってきたときに、親父から『そうか』とひと言だけ言われました」と当時を振り返り、「あれは悪い『そうか』ではなかった気がします」と照れくさそうにつぶやいた。

引用元:シネマトゥデイ (cinematoday.jp)

 

2017年に俳優デビューを果たした寛一郎くんは、映画『心が叫びたがってるんだ』や映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』などに出演し多くの映画祭で新人賞を受賞しています。三代共に俳優をされているだけでもすごいことですが、三人とも数多くの作品に出演し高い演技力を評価されているなんてすばらしいことですよね!

 

三國連太郎と息子の佐藤浩市の確執とは?

 

三國連太郎さんと佐藤浩市さんの間には確執があったのではないかという噂があります。実際にはどうだったのでしょうか。佐藤浩市さんが雑誌『女性自身』で三國さんとの関係についてインタビューを受けていました。記者に故郷について聞かれると、「僕には故郷なんてものはありません」と答えています。どういう意味なのでしょう。

 

佐藤さんは東京都・神楽坂に産まれました。しかし、元々生まれ育った場所は当時の面影は全く無く、実家も無ければ守るべき故郷もないそうです。小さいころ父親である三國さんは基本的には家にはいなかったそうですが、だからといって母親とずっと二人だったかというと母親も神楽坂の芸子さんだったので夜は知り合いのもとにお酒を飲みに行ったりしていて、基本的には家に一人のことが多かったそうです。

 

佐藤さんが小学校5年生になったころ、三國さんは家を出て、佐藤さんが中学生になるころにはご両親が正式に離婚されました。離婚が決まったころ、三國さんは伊豆の十国峠に佐藤さんを連れて行き、「これが君との最後の別れだ。君はおふくろのところへ帰れ。僕は放浪生活を始めるから」と伝え佐藤さんと別れたそうです。

 

佐藤さんが高校を卒業し多摩芸術学園映画学科に進学し、俳優を目指すことを三國さんに伝えると、「僕は何も教えられないよ。だったら、親子の縁を切りましょう」と三國さんから言われたそうです。三國さんの息子であるため2世俳優として芸能界に入った佐藤さんは、周りから常に『三國さんの息子さん』という風に見られてきました。しかし本人はそんなに悪いようにとらえず、むしろそれだから受け入れてくれる業界も多くうまく利用していたそうです。

 

親子での共演がなかなか無いため『不仲説』や『親子の確執』と噂されていましたが実際には不仲ではないそうで、「僕も、きっと三國も、一緒にいることのハードルを変に上げすぎたんですね」とコメントしています。

 

三國連太郎と息子の佐藤浩市は共演あり?

 

三國連太郎さんと息子の佐藤浩市さんは同じ俳優の世界にいるにも関わらずなかなか共演されませんでした。しかし1996年春に公開された映画『美味しんぼ』で最初で最後の共演を果たします。三國さんが73歳、佐藤さんが35歳の時でした。

 

画像出典元:シネマトゥデイ (cinematoday.jp)

 

佐藤浩市さんは三國さんとの共演についてこう語っています。

 

「三國と『美味しんぼ』をやった後は何もやる気が起きなくなっちゃった。でもそんなに考えこまないで、若い頃からちょっとずつでも一緒にやっていれば、あと何本かは共演作はあったのかなという悔いはあります。だからうちの坊主(俳優の寛一郎)には、あまりハードルを上げずにやろうなとは言っています。」

引用元:シネマトゥデイ (cinematoday.jp)

 

これまで何百作もの作品に出演されてきた三國さんと佐藤さんが、共演作が1本しかないというのは確かに残念ですよね。これほどまでに大きい存在のお父様と共演するにはさぞ勇気と努力が必要だったのでしょうね。

 

三國連太郎には子供は何人いる?

 

三國連太郎さんは何度か結婚を経験されていますが、その結婚経歴は変化がものすごいです。まず、1945年終戦後三國さんは満州に出兵していてその後収容所に送られるのですが、妻帯を持っているほうが優先的に日本に戻れると聞き、同じ佐藤の苗字の女性と偽装結婚します。1946年に結婚し帰国しますが、子供を身ごもったことを知った三國さんは1948年に離婚されました。この時の子供が女の子ですが、一般の方のため詳しい情報は明かされていません。

 

離婚後、知り合いの紹介で農業工業組合で働くことになった三國さんは、土地の資産家の娘さんと再婚し2度目の結婚をします。その後俳優業をしていくのですが、1952年には2度目の離婚。この奥様との間にはお子さんは授からなかったようです。

 

翌年の1953年に3度目の結婚をした三國さんは、1960年12月10日に長男の佐藤浩市さんを出産されます。3番目の奥様にはもう一人お子さんがいるようで女の子のようですが、一般の方のため詳しい情報は明かされていませんでした。また、3番目の奥様ものちに三國さんと離婚されているので三國さんとの子供かも定かではありません。

 

三國連太郎さんは3度の結婚を通して、腹違いではありますが娘が2人(もしくは1人)と息子が1人いるということがわかりました!

 

三國連太郎が歯を抜いたのは本当か?

 

三國連太郎さんは『怪優』と呼ばれていますが、そのきっかけとなったエピソードがあります。それは1957年に上映された映画『異母兄弟』です。当時33才の三國さんは、老人を演じるために前歯を10本抜きました。役のためなら歯も抜くという徹底した役作りで世間を驚かせました。

 

画像出典元:jhikaku.jp

 

こちらがその当時の写真で、左がもともとの三國さんで右が10本歯を抜いて挑んだ老人役の写真です。こう比べると本当に別人ですね。ここまで徹底した役作りをされるとはすごいです。

 

三國連太郎さんのまとめ

 

てなわけで、今回は俳優として活躍されていた三國連太郎さんについて調べていきました。プライベートでは何度も結婚と離婚を繰り返していたりと、波乱万丈な人生を歩んでいたのですね。三國さんは亡くなられてしまいましたが、三國さんの出演作が今後もたくさんの方に届くことを祈っています。

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