今回は歌手や女優として活躍されている伊東ゆかりさんについて詳しく調べていきたいと思います。1960年代から1970年代にかけて和製ポップス歌手として活躍されていましたがプライベートではどのような生活を送っていたのでしょうか。
伊東ゆかりの娘の年齢は?
伊東ゆかりさんにはお子様がいらっしゃいます。娘さんが一人いるようです。年齢はというと確実なものは公開されていませんでしたが1980年4月2日生まれというのが一番濃厚なようです。そうなると現在(2021年)は41歳ということになります。
もうひとつ1971年生まれという説があり、その所以は1975年に伊東ゆかりさんが離婚をされた際、娘さんのご年齢が3歳だったという噂があるからです。これが事実だとすると現在(2021年)50歳ということになるので2つの情報では全然年齢が違いますね。どちらも確証はありませんが、現時点で分かっているのはこの2つの情報です。
伊東ゆかりの娘の名前は?
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ここからは伊東ゆかりさんの娘さんについて詳しいプロフィールなどを紹介していきたいと思います。伊東ゆかりさん娘さんのお名前は『伊東宙美(いとうひろみ)』さんといい本名は『伊東公美(いとうひろみ)』さんといいます。彼女もお母さんと同じくポップス歌手として活動しています。2007年に徳間ジャパンコミュニケーションズという音楽レーベルよりデビューしました。
2007年に『ふたりの小舟』というシングルを発売し、2010年10月13日には伊東ゆかりさんと親子デュエットソングを販売しました。その後も母親である伊東ゆかりさんと共に音楽番組や『徹子の部屋』に出演したり、親子でのテレビ出演が目立っています。
本日は久し振りの母娘共演🎤✨
ザ・ピーナッツメドレーを歌わせていただきました🎶放送は、12月3日(木)20:00〜20:57
BS11イレブン「八代亜紀いい歌いい話」お楽しみに‼️
引用元:宙美のほんの独り言♪
宙美さんのブログでもたびたび伊東ゆかりさんが登場されているようで、仲が良いのが分かりますね!そのうちテレビで共演の機会などもあるかもしれませんね( ^ω^ )
伊東ゆかりの夫は誰?
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伊東ゆかりさんは1971年に同業者で歌手の『佐川満男(さがわみつお)』さんとご結婚されました。佐川満男さんは1939年11月9日生まれの81歳(2021年現在)で歌手やタレント、俳優としても活動されています。
1960年にビクターレコードという音楽レーベルからデビューした佐川さんは、デビュー後すぐ「無情の夢」「背広姿の渡り鳥」「ゴンドラの唄」など数多くのヒット曲を販売しました。デビューして2年目でNHK紅白歌合戦に初出場し2年連続出場を果たしました。
その後も多くの曲をリリースし活躍をし続けていた佐川さんは1970年に4回目のNHK紅白歌合戦への出場を果たすと、同年に同業者である伊東ゆかりさんとの結婚を発表しました。詳しい馴れ初めは公開されていませんが、佐川さんいわく「元々歌手としての伊東さんのファンで歌声がすきだった」とのことです。同業者である二人なので接点も多く交際に発展したのかもしれませんね。
しかしお二人は娘の宙美さんを出産したのち、1975年に離婚されています。佐川さんが結婚後も伊東さんの才能や歌声に嫉妬してしまい夫婦間での言い争いが絶えなかったことが原因のようです。お互い歌手として活躍されているお二人ですからぶつかってしまうところも多かったのでしょうね。
離婚後も伊東ゆかりさんや娘の宙美さんと仲は良く、テレビ番組『徹子の部屋』にも2度にわたって3人で出演しています。1988年には佐川さんは一般人の方と再婚をされていますが、娘の宙美さんはその再婚相手の方とも仲が良いそうです。
伊藤ゆかりと野球選手の関係は?
伊東ゆかりさんは野球選手との噂があるとネットで検索するとでてきます。その詳細はというと、プロ野球選手と結婚の噂があったそうです。1967年伊東さんが最も忙しかった頃、巨人で活躍されていた『柴田勲(しばたいさお)』選手との交際が噂になりました。
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こちらが当時1960年代の柴田勲選手です。神奈川県横浜市出身の柴田さんは高校時代『法政二高』に在学しており、エースとして甲子園に4回出場しています。1961年10月19日、投手として読売ジャイアンツに入団した柴田さんは歴代3位のセリーグ記録を持ち、盗塁王を6回獲得するなど1981年に引退するまで活躍し続けました。
柴田さんは赤い手袋を付けてプレイするのがトレードマークとなっていました。赤い手袋をし始めたのは1967年からでした。柴田さんが春季キャンプに参加した際、練習中に手を擦ってしまいバッティングの練習が出来なくなってしまいました。近くにあったゴルフ場に手袋を買いにいったところ柴田さんのサイズに合うものが女性用のものしかなくやむなく赤い手袋を購入したそうです。
思いもよらないハプニングから赤い手袋をつけることになった柴田さんですが、野球場の緑とその赤い手袋の組み合わせがかっこいいと話題になり柴田さんの赤い手袋はトレードマークになりました。
そんな柴田勲さんですが、交際の報道は間違いではなく1970年頃交際していたようです。一度は結婚の話も出たようですが、当時の伊東さんは人気絶頂期で恋愛どころではなかったのと親御さんの反対などもあり自然消滅してしまったようです。有名な芸能人同士の交際はなかなか難しいことも多いようですね。
伊藤ゆかりの現在の年齢は?
画像出典元:一般社団法人日本ポピュラー音楽協会
伊東ゆかりさんは1947年4月6日生まれ東京都品川区出身の74歳(2021年現在)で、60年代から70年代にかけて和製ポップス歌手として活躍しました。幼少期から歌に興味があった伊東さんは、11歳の頃にキングレコードという音楽レーベルからデビューを果たします。
一旦その後活動を休止しますが、1966年に中尾ミエさん・園まりさんと3人で『スパーク3人娘』を結成します。1967年にリリースした『小指の思い出』が大ヒットとなりその名は全国区に知れ渡ります。その後も『知らなかったの』『恋のしずく』などヒット曲を連発していきます。その人気から、1969年にはNHK紅白歌合戦の司会も務めました。
1970年にシングル曲をリリースし当時所属していた渡辺プロダクションから独立しますがそう甘くはなく、以前の人気から一変し仕事がどんどんと減ってしまいます。スパーク3人娘も自然解散し活動が低迷しました。
しかし、1977年から4年間メイン司会を務めていたTBSの音楽番組『サウンド・イン”S”』という番組で、自分が以前の『スパーク3人娘』としてではなく1人の大人の歌手として受け入れられたことでそこから伊東さんは変わっていくことが出来ました。
現在はソロ歌手として活動されていて、歌手生活60周年を迎えた2013年にはソロコンサートを開催したり歌手生活60周年記念アルバム『メモリーズ・オブ・ミー』を販売したりと精力的に活動しています。また、バラエティ番組や音楽番組に親子で出演したりと活動の幅を広げていっているようです。
伊藤ゆかりさんのまとめ
今回は歌手として一世を風靡していた伊東ゆかりさんについて詳しく調べていきました。かつて人気絶頂だったころからの低迷の時期のことや、ご家族との関係、離婚歴など壮絶な人生を送っていたようですね。今後も伊東ゆかりさんやその娘の宙美さんの活躍が気になるところです。応援していきたいと思います!(^ ^)
コメント
生年月日は1947年の間違いではないでしょうか?
ご指摘ありがとうございます!おっしゃる通りで、修正させていただきました!