今回は弁護士として活動されている大平光代さんについて調べていきたいと思います。大平光代さんは思春期の頃にいじめに会い精神的苦痛を受け、自殺未遂の経験もあるのだとか。そんな人生のどん底を味わった大平光代さん。
また、中学中退という学歴ながらも、宅建建物取引士や司法書士といった難易度の高い資格を取得して大きく人生を変革しています。きっと、大平光代さんの生き様から活力をもらった方もいるでしょう。今回は、そんな大平光代さんとご家族との関係や過去のことを掘り下げて紹介をしていきたいと思います。
大平光代の子供は何人?情報まとめ
ブログの前半では、大平光代さんのお子さんについて話していきたいと思います。お子さんは何人いらっしゃって、性別はどちらなのでしょうか?
子供は全部で2人。2人目は娘で1人目の性別は不明
大平光代さんのお子さんについて調べてみると、お子さんは2人いらっしゃることがわかりました。しかし、1人目のお子さんの情報については詳しく公表されておらず性別すら不明でした。
もうひとりのお子さんは情報があり、娘さんののようで生年月日は2006年9月3日生まれで現在18歳になります。
1人目の子供は19歳の時に産んでいる
参考画像元:Asageiplus
1人目のお子さんについて唯一あった情報が、大平光代さんが19歳の時に出産をしたお子さんであるということだけでした。現在弁護士である大平光代さんが、19歳で初めての出産をしていたと聞くと弁護士としたイメージを想像すると意外ですよね。
実は、大平光代さんは中学時代にひどいいじめを経験し、中学2年生の時には自殺未遂を図って集中治療室で治療を受けたほどだったといいます。それから、大平光代さんは非行に走り、夜の街に出かけるようになりました。
しかし、非行仲間に自殺未遂の噂が広まっており、そのことを馬鹿にされたことで大平光代さんの中で「人を信じること」の思いが壊れ、暴力団世界に足を踏み入れることになったのです。
1人目の子供は元夫との子供さん
ここで、ひとりめのお子さんの話に戻ります。暴力団の世界に足を踏み入れた大平光代さんは16歳の頃暴力団の組長とご結婚されています。22歳になるころには離婚されているのですが、19歳の頃に一度出産を経験しています。
その時のお子さんがひとりめお子さんになります。このお子さんいついての情報が公表されていないのは組長さんとの間に産まれた子ということで、色々と情報がないのは仕方ないのかもしれません。またそのころの名残として。体には大きな入れ墨が掘ってあります。
この写真では背中しか映っていませんが、実際には背中からおしり、足にかけて広く掘られています。それから、22歳の頃義父との出会いで暴力団から足を洗い猛勉強をして司法試験に合格した大平光代さんは、見事弁護士になることができ現在に至るということです。
画像出典元:スポーツ報知-NPO法人宮崎自殺防止センター
娘はダウン症?現在の様子などその他情報まとめ
ここからは、大平光代さんの娘さんについて詳しくお話しをしていこうと思います。娘さんはダウン症という噂があるようです。実際はどうなのか?そして現在はどうしているのかをまとめました。また、大平光代さん自身と旦那さんについてもお話ししていきます。
娘がダウン症という噂は本当か
大平光代さんの娘さんがダウン症というのは本当なのでしょうか?調べてみるとこの噂は本当でした。大平光代さんは娘さんがダウン症ということを公式に公表されています。生まれつきダウン症と診断され、さらに肺高血圧症、心臓病、白血病の合併症もあったと言われています。
また産後には哺乳が困難だったため、鼻から胃へチューブでミルクを送る「別腹ミルク」も用いられたようです。
娘の名前は悠ちゃん
参考画像元:Asageiplus
大平光代さんの娘さんの名前ですが、悠とかいて”はるか”と呼ぶそうです。悠ちゃんの名前の由来なのですが、妊娠中秋篠宮紀子さまと出産予定日が近かったこともあり、「悠」か「唯」のどちらかで考えていたようです。
また、大平光代さんが出産時に40歳と高齢だったこと、そして生まれた子がダウン症と診断されたことを受けて、「ダウン症の子はゆっくり育つと聞いていたから、この子には『悠』という字がぴったりだ」と感じたといいます。
娘の顔写真や画像は
画像出典元:Asageiplus
大平光代さんの娘さんの現在の画像を探してみましたが、残念ながら見つけることが出来ませんでした。こちらが3・4歳ころの娘さんの写真です。とても元気よさそうでいい写真ですね!
娘の今現在の年齢や様子は
悠さんはダウン症と診断をされましたが、生後すぐ開始した医療的ケアや療育の成果もあり言葉やコミュニケーション能力も徐々に発達をしていったといいます。2006年9月生まれなので2025年現在は18歳です。
大平光代さんは弁護士として活動されていますが、多くの著書を出版されているのでメディアにも出演されています。しかし、悠さんは一般の方で18歳にもなるのであまり個人情報ほ公開していないようです。
多忙のなか娘を2時間睡眠で育てていた
画像出典元:Asageiplus
大平光代さんは一時期睡眠時間が2時間しかない時があったといいます。悠ちゃんが生まれてから、子育てと仕事の両立をする中で睡眠時間が2時間だったという噂もあるようですが、実際は違うようでした。
大平光代さんは、インタビューや記事や執筆された本の中で悠さんを出産された後仕事の依頼を全てキャンセルし子育てに専念をしたことを話しています。幼少期の子育てはやり直せないからこそ、最初の数年を娘と一緒に過ごす覚悟をしたといいます。
実際、大平光代さんが2時間睡眠の時期があったのは本当のようで、22歳の時に極妻をやめて弁護士の勉強を始めた時と、弁護士になり大阪市助役や少年事件を担当し多忙の時は睡眠時間を削っていたようです。
そんな睡眠時間を削るほどに過酷な経験をしたからこそ、より娘の悠ちゃんとの時間を大切にしたいという気持ちが強かったのかもしれません。
娘のために大阪から兵庫県丹波地方に引っ越し
参考画像元:Asageiplus
大平光代さんは、ダウン症を抱える悠ちゃんのために2008年6月に大阪市から兵庫県丹波市の山間地域の町に引っ越しをしています。なぜ、兵庫県丹波市の山間地を選んだのでしょうか?大平光代さんは、あるインタビューでこう語っています。
「引っ越しは、ダウン症の悠(はるか)には、田舎のゆっくりした時間の流れのなかで育つのがいいと思っての決断でした。初めてこの町を訪れたとき、最初に目に飛び込んできたのが、とんがり屋根のかわいらしい小学校。すぐ近くには土の運動場をもつ保育園もあって。あっ、ここで子育てできたらいいなぁと思ったんです」
参考文献:Asageiplus
実際にこの地を訪れた時に、直感的にここにしようと感じたといいます。真摯に、悠ちゃんのダウン症と向き合い愛情を注いでいる大平光代さんの気持ちがこのインタビューでつても伝わりました。このインタビューでどういう想いで悠ちゃんと向き合ったのかも書かれていたので紹介したいと思います。
当時、2歳前の悠ちゃんの子育ては、大平さんにとって充実したものだった。ただ一点、食べることを除いては。すでに離乳食も始まっていたが、どんなに手を加えても、ヨーグルト以外、いっさい口にはしてくれなかったようです。まもなく3歳になるというときも。
「身長が77センチ、体重は8キロと100グラム。ちょうど1歳の子の大きさですね。やっぱり肉、魚はもちろん、ご飯も食べませんでした。おもゆもおかゆもダメ……。ほかの子は0歳でも10キロくらいあるのに、悠は4歳でもまだ10キロに届きませんでした」
参考文献:Asageiplus
この時のインタビューは小学校入学前の3月の終わり、まだ保育園に通っている時期に行われていました。当時、95センチと12.5キロ。2歳児と3歳児の間ぐらいだ。メガネは弱視のため半年前から。言葉は聞き取りにくいが、お友達とのコミュニケーションには困らなかったそうです。
「いつも家より、保育園が一歩先を行ってくれました。4歳前に、突然おかゆを食べるようになったときもそう。野菜や肉を食べるようになったときも。園では、悠だけでなくアレルギーの子も80人全員の食の状況を知り尽くした調理師の方たちがメニューを工夫してくれました。最近は、丹波のイノシシやシカの肉まで食べるグルメです(笑)」
参考文献:Asageiplus
大平光代さんの悠ちゃんに対する向き合い方は、ダウン症のお子さんを持つ母親に母としての力と共感を与えていることでしょう。
再婚した旦那さんは同じ弁護士の川下清さん
先ほど少し触れましたが、2006年2月14日に大平光代さんはご結婚されました。お相手はというと、同じ弁護士事務所の先輩であり弁護士の川下清さんです。川下清さんは一般の方なので、写真や個人情報の公表はありませんでした。
しかし、過去の大平光代さんの執筆の中で、川下さんとのあるエピソードを語っています。交際中に川下さんの方から「うちの両親にも会う?」と誘われたといいます。実際に両親と会った時の大平さんの心情を抜粋しました。
再婚相手に選んだ相手が、14歳で割腹自殺未遂、その後暴走族に入り挙句の果てに極妻になって背中に刺青まで入っている。大阪市助役在任中は喧嘩が強いなどと散々言われていて、毎日のようにテレビで見ていた女性が今、息子の再婚相手として目の前にいる。
もし私がお母さんの立場だったら、「もっと他にええ人はいなかったの?」と言いたくもなったでしょう。でもお母さんは、私の手をしっかりと握りしめてくれました。そして「清のことをよろしくお願いします」と言ってくださったのです。
参考文献:Asageiplus
大平光代さん自身両親と会うと言われた時、川下さんさんからの想いは嬉しいと思いつつ自分の過去への後ろめたさがあったのでしょう。そんな中、暖かく受け入れてくれた川下さんの両親の温もりは大平光代さんにとって救いになったことでしょう。
大平光代は過去に徹子の部屋にも出演
参考画像元:Asageiplus
大平光代さんは2000年の5月5日の放送で徹子の部屋に出演されています。番組では自身の壮絶な半生と再起の物語を語ったといいます。「極妻から弁護士そして出産」ワードを見た当時の視聴者の方はインパクトを受けたと思われます。
収録内容は、大平光代さんの壮絶な半生と再起の物語を語るものでした。中学生時代のいじめ、自殺未遂、非行に走った過去、16歳での暴力団組長との結婚と背中の刺青、離婚後の再出発など、自らの波瀾万丈な人生を淡々と、しかし力強く語りました 。
大平光代さんは、自伝「だからあなたも生き抜いて」を執筆しておりそのタイトルに込めた強いメッセージも紹介していました。「誰でも生き直せる」という思いを伝えるエピソードが番組内でも繰り返し語られました。
それから、母としての想いも語っています。当時、幼い長女・悠ちゃんについても触れ、帝王切開での出産や大きな子宮筋腫、ダウン症、白血病といった健康問題に直面しながらも、母としての前向きな姿勢を示しました 。
悠ちゃんの誕生後の生活変化や母親としての強い愛情についても語っていました。大平光代さんは自身の背中の入れ墨についてのエピソードを語っていました。4歳になる悠ちゃんとお風呂に入ると、悠ちゃんが入れ墨を指さして「ママー、ヘビー!」というそうです。
すると大平さんは答えて「悠ちゃん、蛇だけじゃなくて観音様もでしょ。観音様はまだわからないか、、」といったそうです。入れ墨の存在は小さい悠ちゃんにも理解できるようになってきていると話していました。
小さいうちは笑って話しているけどいつかこの入れ墨の意味や大平さんが歩んできた人生についてしっかり話さなくてはいけないと思っているようです。この時の番組を視聴したブログなどでは、「大平さんの語り口は派手さはないが、まるで女神のように清らか」
「今回の出演で、自分も努力しなければと思った」といった感想が多数寄せられていました。
大平光代は大阪市の助役も歴任
大平光代さんは、2003年に関大阪市長に要請され、大阪市助役に2年間就任されています。助役に就任後は、翌年3月まで給料を全額返上して行政の勉強に集中していたそうです。この時期は、睡眠時間は毎日2〜3時間だったとか。
それに対して「働いてない職員が給料を何千万円も取っている」などと批判をしたそうです。大平光代さんは大阪市の職員厚遇問題に対抗をするため、市政改革に奔走しますが既得権益を手放したくない市職員や議員の反発に合います。
朝出勤したら、机の上に「おまえは何様や」などと書かれた誹謗中傷の文書が置かれていた事もあるそうです。そして、2005年に関市長の辞任に伴い大平光代さんも助役を辞任します。大平光代さんがしようとした大阪市の職員厚遇問題に対処したのが橋本徹市長でした。
大平光代さんが助役を辞任してしばらく経った後の、2011年橋本市長がこの改革に取り組みます。橋本さんは府知事時代に、知事給料30%カット、退職手当50%減額、一般職員給料月額カット、退職手当の減額(10〜15%)などを行なっています。
また、ここで大平光代さんと橋本徹さんにはある共通点があったのです。それは、大平光代さんの元夫は暴力団の組長です。そして、橋本さんの父親は暴力団員と報じられています。
お二人は暴力団にルーツを持つという「隠されがち」なバックグラウンドを持ちながらも、それを受け入れ、社会の第一線で活躍しました。彼らの存在は、「生まれや過去は変えられなくても、生き方は変えられる」ということを、政治の場でも社会にも証明した象徴的な存在と言えるでしょう。
子供・娘情報まとめ
大平光代さんと、お子さんについてはいかがでしたでしょうか?最後に、今回のブログについてまとめておきたいと思います。
- 大平光代さんのお子さんは2人いて、2人目は娘で1人目は性別すらも不明
- 1人目の子供は19歳の時に出産している
- 1人目の子供は元夫の子供で、元夫は暴力団組長
- 娘はダウン症でそのほかにも、肺高血圧症、心臓病、一過性骨髄異常増殖症も患っている
- 娘の名前は悠ちゃん(はるかちゃん)
- 悠ちゃんは2025年現在18歳で、一般人のために公に情報は公表されていない
- 大平光代さんは弁護士になった時と、大阪市助役に就任をした時は毎日の睡眠が2〜3時間だった
- 悠ちゃんの療育のために大阪市内から兵庫県丹波地方に引っ越しをしている
- 再婚した相手は同じ弁護士の川下清さんで一般の方のために情報は公開されていない
- 大平光代さんは2000年の徹子の部屋に出演をしており自身のエピソードについて語っている
壮絶な過去から立ち上がって、母親となり川下さんと悠ちゃんと新たな人生を歩んでいる大平光代さん。今回、ブログを書いていて”誰でも生き直せる”ということを有言実行した女性だと感じました。大平光代さんの生き様は、今の現状に苦しんでもがいてる人にとっては勇気を与えたり、何か行動が変わるきっかけになるのではないかと思います。
コメント
手、洗ったんだ(笑)
コメントありがとうございます!すみません、足を洗うでした!