今回は歌手のさだまさしさんの子供についてお話したいと思います。
まずはさだまさしさんの経歴を簡単に紹介したいと思います。
さだまさしさんはフォークデュオの「グレープ」でデビューし、「精霊流し」の大ヒットから全国にその名を知られることとなります。ソロシンガーになってからも「関白宣言」や「北の国から」の名曲を生み出し、2013年7月の時点で日本で最も多くのソロコンサートを行った歌手であり、その数は4400回を超えています!
「関白宣言」歌ってる映像よく流れていたので私も知ってます!!「俺より先に寝てはいけない~」ですよね(笑)。
さだまさしの子供(息子)は何人で名前は?
それでは早速見ていきましょう!さだまさしさんには長男(兄)、長女(妹)で二人のお子さんが居ます。音楽家の子供として生まれてきたお二人はどんな人生を歩んでいるのか気になりますよね!
さだまさしさんのお二人のお子さんのお名前は何というのでしょうか?音楽の他に小説や映画監督もされていたさだまさしさんですからね。きっと深い意味がある名前をお付けなのでしょう。
まずお兄さんの方が「大陸(たいりく)」さんと言います。1984年8月11日生まれの36歳ですね。そして妹さんが「詠夢(えむ)」さんと言います。1987年6月8日生まれの33歳です。何かこれだけでお二人とも育ちがよさそうなイメージを持てますね!!
さだまさし、子供(息子)の画像は?
さぁさぁやっときましたよ。お待ちかねのお顔拝見です・・・。
「佐田大陸くん」も、楽屋に顔を出してくれました。
彼が幼稚園くらいの頃から知ってるけど、立派な青年になりました(^O^)
「ツケメン」という室内楽トリオで、頑張っています。
ツケメン、応援して下さいね❗️(^O^)#ツケメン#佐田大陸#青空 pic.twitter.com/4rRR21na0r— 水島裕 (@goofyalice2013) August 13, 2018
おぉ~!!優しそうな目元がさだまさしさんそっくりですね。では詠夢さんはどうでしょう?
真ん中の女性が詠夢さんです。笑顔が素敵な女性ですね!!愛されて育ってきたのが伝わってきます。どうやらお二人ともそれぞれの形で音楽をされているみたいですね!
さだまさしの子供(息子)、ツケメン?
詠夢さんは実はプロのピアニストとして活躍されています。6歳の時に洗足学園音楽大学客員教授の松崎玲子さんの演奏を聴いたことをきっかけにピアノを始めました。
テレビ信州「エムカフェへようこそ~佐田詠夢のおしゃべりタイム」でナビゲーターも務めているそうです。兄の大陸さんはヴァイオリン2本とピアノで編成される音楽ユニット「TSUKEMEN」のメンバーでユニット内では「TAIRIKU」の名義で活動しています。
2010年にアルバム「BASARA」でメジャーデビューしてから現在までにアルバム9枚とマキシシングル1枚をリリースしていて、ライブは国内に留まらず、ドイツにて名門「シュトゥットガルト室内管弦楽団」と共演したり、オーストリアのウィーン楽友協会 黄金の間大ホールでライブをするなど、海外でも高い評価を得ています。
最近、 #TSUKEMEN の、#TAIRIKU さんがかっこよくて仕方ない。。。 #さだまさし の息子 #佐田大陸 お父さんに似ているような、でもカッコいい。でもってなんだ。あわよくば結婚したかった。そしてさだまさしが義父になってほしかった。(笑) pic.twitter.com/b2rJiJaSqx
— ぬんぱん♡ (@yymcaa) August 16, 2017
佐田大陸さんてかっこいいんですね~。自分の周りにはなぜこんな人が居なかったのか・・・(笑)。
さだまさしの子供(息子)は結婚している?
そして残念ですが、いやおめでたいのですが、こんなに素敵な男性ですからもう婚約済みでございます。2014年に自身のブログで結婚をしたことを報告しています。さらに翌年の2015年には息子も誕生しています。
奥さんの事や息子さんの事はあまり公開されていないようです。奥さんは「TSUKEMEN」の事も大陸さんの事もとても理解されているとの事で、もしかしたら音楽関係者なのかもしれませんね。やはり大陸さんの息子さんにも何かしら楽器をやらせるんでしょうか!ちなみに妹の詠夢さんも2015年にゴスペラーズの北山陽一さんと結婚されています。
さだまさしのバンド?
さだまさしさんはかつて「グレープ」というバンドを組んでました。さだまさしさんと吉田正美(現 政美)さんによるフォークデュオで1972年から1976年まで活動していました。
さだまさしさんと吉田正美さんは高校2年生に時に共通の友人の紹介で知り合ってバンド活動を行い、ファーストコンサートは定員304席のところを250人程度しか集まらず、さだまさしさんの弟が通りすがりの人を無理にでも入れ込むこともあったそうです。さだまさしさんはこのことをキャバレー方式と言ってました。デビュー曲の「雪の朝」は8000枚しか売れず、友人らがレコードを買い込んで知り合いに無理に買わせるといった状況だったとのことです。
1974年に二作目のシングル「精霊流し」を発表しますが、無名のバンドだったため売り上げは伸びずでしたが、東海ラジオの深夜番組「ミッドナイト東海」の中でアナウンサーの蟹江篤子さんが担当の曜日で毎週のように流し続けたことが助力となり、全国的なヒットとなり第16回日本レコード大賞作詞賞を受賞することとなりました。
その後も曲を出しますが、思ったよりヒットには至りませんでしたが、クラフトのセカンドシングルために提供した「僕に任せてください」が大ヒットし、さだまさしさんはソングライターとしての腕を発揮することとなります。リリースが先送りになっていた曲をクラフトが大ヒットさせたのが「さよならコンサート」です。1975年ころからさだまさしさんが肝炎を患い、自分達のやりたかった曲が思うようにヒットしなかったことから解散に至りました。
解散後、さだまさしさんは長崎放送などへ就職活動を行ったがうまくいかず、解散した年の秋にシングル「線香花火」でソロデビューしました。その後はシンガーソングライターとして「関白宣言」「道化師のソネット」「親父の一番長い日」などヒット曲を連発し、その一方で小説家としても活動しています。
さだまさし、バンド復活?
解散から15周年目の1991年には一度「レーズン」の名義で再結成し、アルバムをリリースしています。また、2002年東名坂で行われた「さだまさしデビュー30周年記念コンサート」ではグレープとしてステージに登場したり、それ以降も何らかの形でグレープとして活動を行っています。
解散した後もさだまさしさんと吉田正美さんは良好な関係を築いているみたいですね!
まとめ
今回はさだまさしさんの子供(息子)についてまとめてみました。さだまさしさんはお子さん達もその配偶者もとにかく音楽一家ということですね。
「TSUKEMEN」も気になりますが、ピアノが好きなので個人的には詠夢さんのピアノを聴いてみたいと思います。さだまさしさんの才能は間違いなくお子さんにも受け継がれていることでしょう。
コメント