田中角栄さんは1918年5月4日生まれで、新潟県刈羽郡二田村(現在:柏崎市) のご出身です。建築士や実業家として活躍していました。その後、政治家としても活躍していて、第64・65代の内閣総理大臣を務めています。
田中角栄さんは最終学歴は二田高等小学校(現・柏崎市立二田小学校)が最終学歴ということで、決して高学歴ではありません。非エリートそして苦学の経歴から内閣総理大臣にまで上り詰めたことで「今太閤」と呼ばれ「角栄ブーム」が巻き起こりました。
戦後の日本を大きく飛躍させた総理大臣ですが「ロッキード事件」の収賄事件で逮捕され失脚してしまいました。1985年には脳梗塞で倒れ、言語症や行動障害など後遺症が残ってしまったため1990年に政界を引退しています。そして1993年12月16日75歳の時に肺炎が原因で亡くなっています。
今回はそんな田中角栄さんの子供は何人いるのか?息子は田中京と祐で自己破産の噂と生活保護を受けているという噂について、さらには田中角栄さんの娘についても調べて行きたいと思います。
田中角栄の子供は何人?
田中角栄さんは建築士時代に身を寄せていた坂本家の一人娘で離婚歴があり、当時9歳になる娘がいた坂本はなさんと1942年3月3日の桃の節句の日に結婚しました。出会ってから半年ほどで結婚したそうです。坂本はなさんは田中角栄さんの8歳年上の姉さん女房で、当時田中角栄さんは24歳、坂本はなさんは31歳でした。
坂本はなさんは小柄で愛嬌がありおっとりしている性格のようですが、それだけではなく芯の強さも持っている女性で、田中角栄さんはかなり惚れ込んでいたようです。結婚後、田中角栄さんとはなさんの間には二人の子供が生まれました。しかし、長男の田中正法さんは4歳で亡くなっており、長女として生まれた田中真紀子さんが一人娘となり、かなり溺愛して育てたようです。
はなさんは離婚して実家に出戻りした経験があり、結婚生活には苦労があることも知っていました。そのため、初婚の女性よりも打たれ強く、一度結婚に失敗していることから、次の夫とは失敗しないように尽くすことを決めていたようです。実際、田中角栄さんとの結婚生活は51年間も続いていました。
はなさんは婚前契約のような約束を3つ、田中角栄さんと結んでいました。その約束は「出て行けと言わないこと」「ぞんざいに扱ったり酷い扱いをしないこと」「二重橋を渡ることがあれば同伴すること」ということでした。
二重橋とは皇居前の正門にかかる橋のことで、天皇陛下に拝謁する際に渡るものです。その道で一際優れた人だけが招待され渡ることが許されます。つまり、はなさんは生涯妻としてそばに置いてくれるなら女遊びは目をつぶると言っており、田中角栄さんは愛人を作り、子供ももうけています。
田中角栄さんは多くの女性と関係を持っていたようですが、愛人として関係を持っていた方が二人いたそうです。一人目は神楽坂の芸者として活躍していた辻和子さんです。辻和子さんとは40年以上に渡り親密な関係を築いていました。
愛人という立場ですが、辻和子さんとの間には3人の子供が誕生しています。長男が田中京さんで次男が田中祐さんです。間に娘さんの眞佐さんが生まれていますが、1歳になる前に亡くなっています。1985年に田中角栄さんが脳梗塞で倒れるまで、月100万円の仕送りを欠かさず送っていたそうです。
田中角栄さんの2人めの愛人が秘書を勤めていた佐藤昭子さんです。昭和21年に田中角栄さんが「新潟二区」から出馬した際、佐藤昭子さんが選挙運動を手伝ったことが2人の出会いでした。
この選挙では落選となりましたが、後に佐藤昭子さんは田中角栄さんの秘書という立場になり、2人で協力して政界をのし上がっていきます。佐藤昭子さんには2度の結婚、離婚歴があり、田中角栄さんとの間に生まれた子供・敦子さんは2番目の旦那さんが戸籍上の父親となっています。たくさんの女性と関係を持っていた田中角栄さんですが、亡くなってしまった子供も含めると合計6人の子供がいたようです。
田中角栄の息子は田中京と祐?
画像出典元:amazon
先ほどもご紹介しましたが、田中角栄さんの長男は田中 京(たなか きょう)さんで、1951年に東京都新宿区で生まれました。日本で料理研究家、音楽評論家、音楽家、作家として活動しています。大学は日本大学法学部に進学しています。
大学卒業後はレコード会社を経て1996年に銀座7丁目にバー「EARL’S COURT(アールスコート)」を開店しました。しかし、こちらのバーは2007年に閉店しています。その後は執筆活動や講演を中心に活動し、2009年6月には神楽坂にダイニングバー「空」を開店しています。
こちらのお店では銀座に開店したお店とは違い、田中京さんの奥様と2人の娘さんたちが切り盛りしていました。しかし残念ながら、こちらのお店も2015年6月を以て、営業を終了しました。
田中角栄の息子の自己破産と生活保護の噂?
続いて、1957年に誕生した、田中角栄さんの次男さんについて見ていきたいと思います。お名前は田中祐さん。田中角栄さんの次男である田中祐さんは、1990年代前半に、当時勤めていた西武グループから独立し、企画会社を立ち上げました。
しかし、経営が上手くいかず、貯金も底をついてしまい、借金を繰り返したそうです。その後、父親である田中角栄さんが1993年12月に亡くなり、遺産相続争いで実の兄の田中京さんを訴えましたが敗訴してしまいました。
田中祐さんは敗訴とはなりましたが、田中角栄さんの遺産2,800万円を手に入れました。しかしその遺産もすぐに使い切ってしまい、消費者金融3社から借りていた約150万円を支払うことができなくなり、自己破産をしたそうです。そして、生活保護を受けるようになったということです。
2021年現在、田中祐さんは独身で、東京都練馬区大泉学園にある1Kの家賃5万円の家で一人暮らしをしています。本人は「生活保護から抜け出したい」とお話していたということです。
田中角栄の娘はどんな人?
画像出典元:【時事ネタ専門】日本や世界のことをもっと詳しくなりたいあなたへ
先ほども説明した通り、田中角栄さんには亡くなってしまった子供も含め6人の子供がいて、そのうち娘さんが3人います。
一人目が本妻との間に生まれた、田中真紀子さんです。田中真紀子さんは1944年1月14日生まれの2021年現在77歳です。東京都文京区のご出身です。大学は早稲田大学商学部へ進学し、演劇サークル劇団木霊に所属していました。
大学卒業後、1968年から1969年まで劇団雲研究所に所属。女優として舞台に出演し活躍していましたが、結婚を機に引退しています。その後政界へ進出し、1993年の衆院選で初当選しました。政治家として活躍し、2012年に事実上政界を引退しています。
2人目の娘さんが神楽坂の芸者として活躍していた辻和子さんとの間に生まれた眞佐さんです。眞佐さんは1歳になる前に亡くなっています。3人目が秘書を勤めていた佐藤昭子さんとの間に生まれた佐藤敦子さんです。敦子さんは後々、自分の生い立ちや母親との関係などに悩み、思春期に入るとお酒と鎮痛剤、睡眠薬などを同時服用して現実逃避をするようになり、自殺未遂まで繰り返していたそうです。
不安定な状態になってしまった敦子さんの様子に母親である佐藤昭子さんは戸惑うだけで敦子さんの話を聞くこともなく、周りの人間に任せていたようです。2012年には母親である昭子さんと父親の田中角栄さんについて綴った本「昭 田中角栄と生きた女」という本を出版しています。
田中角栄さんのまとめ
今回は田中角栄さんについて調べて行きました。本妻がいるのに愛人も複数人いて、さらには愛人との間に子供まで作っていた田中角栄さん。女性関係はかなり自由でしたが、政治家として大活躍していました。きっと最後まで支え続けた本妻のはなさんがいたからここまで活躍することができたのではないでしょうか!
コメント