舟木一夫の息子は上田純で結婚?ブログで風の山法師?現在何してる?

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今回は歌手やタレントとして活躍されていた舟木一夫さんについて調べていきたいと思います。同じ時期に活躍されていた橋幸夫さん・西郷輝彦さんと共に『御三家』と言われる程の活躍ぶりでしたが、その舟木さんのプライベートはどのような生活だったのでしょうか。

 

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舟木一夫の息子は上田純さん?

 

舟木一夫さんは1974年4月29日に紀子さんという女性とご結婚されました。一般の方ということで奥様の詳しい情報は明かされていません。そして、1980年に息子さんを一人出産されました。名前は『上田純』さんといいます。

 

引用元:芸能人の子供情報

 

こちらが息子さんの写真です。赤ん坊の写真なので舟木さんに顔が似ているのかなどはわかりかねますね。上田純さんは一般人ということで、大きくなってからの画像は見つけることができませんでした。

 

上田純さんが6歳のころ、当時人気番組だった『風雲たけし城』という番組で舟木さんと親子共演されたようです。ゲスト出演ということではなく、上田さんが出演したいと強く要望したので一般参加者に混ざって出演したようです。

 

その後上田純さんは慶応義塾大学に進学し卒業し、詳しい職種は分かりませんが一流企業にお勤めのようです、お父様と同じように芸能の道には進まなかったのですね。テレビ出演は6歳のころに出演したきりになりました。

 

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舟木一夫の息子の上田純は結婚してる?

 

舟木一夫さんの息子である上田純さんは結婚されているのかというと、一般人の方とご結婚されているようです。

 

しかし、いつ結婚されてのか、誰とどんな出会いで結婚されたのかなど詳しい情報は見つけることは出来ませんでした。現在(2021年)41歳ということなのでもしかしたらお子さんもいるかもしれませんね。

 

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舟木一夫のブログに風の山法師?

 

舟木一夫さんを検索すると『風の山法師』というワードが出てきますがいったいなんのことなのでしょうか。調べてみるとはっきりとした内容は分かりませんでしたが、

 

1981年5月に発売された『さんざしの花』というシングルが『さんざし=山法師』という読み方をするため検索のワードにでてきたようです。風というのはどこからきたのかは分かりませんでした。

 

舟木一夫はどんな人物?

 

画像出典元:ameblo.jp

 

舟木一夫さんとはいったいどんな人物なのでしょうか。簡単にプロフィールをご紹介していきたいと思います。1944年12月12日愛知県中島郡萩原町に生まれた舟木さん。

 

小学生の頃、祖母に1か月間肩たたきをやったご褒美にとハーモニカをプレゼントしてもらったことから音楽に興味を持ち始めました。

 

家庭環境はあまり良くなく貧しい家庭で育った舟木さんは、13歳年下の弟が生まれたときに「この家に定期的かつ継続的にお金をいれてあげないと弟が人並みの生活ができない」と思い、友達の家のテレビで見た歌手のことを思い出し歌手になることを決意しました。

 

中学生になったころ、父親に頼み込み中学の先生に紹介してもらった指揮者の元で歌のレッスンをうけるようになります。

 

高校2年になったころ、地元のCBCテレビの番組『歌のチャンピオン』に出場し松島アキラさんの『湖愁』を歌ってみごとチャンピオンになります。

 

そしてその年の3月に名古屋市内で行われた『松島アキラショー』で、トークタイムになったときに松島アキラさんが『湖愁』を誰か一緒に歌ってみないかと客席に声をかけたところ、舟木さんの隣に居た同級生に手首を掴まれ手をあげることになってしまったそうです。

 

しかし、舞台に上がると見事松島さんと一緒に『湖愁』を歌いきりました。偶然その場に取材に来ていた『週間明星』の記者の方が舟木さんに目をつけ、舟木さんに名前と住所・連絡先などを聞きました。

 

記者の方は東京に戻るとさっそく当時のホリプロの社長に舟木さんのことを報告し、興味をもった社長は、舟木さんをなるべく早く東京に連れてこさせ作曲家の『遠藤実』さんのもとでレッスンを受けさせるようにしました。

 

ホリプロに所属することになった舟木さんは、1963年6月5日に遠藤実作曲の『高校三年生』という楽曲でデビューを果たします。

 

その年の4月に高校を卒業していた舟木さんですが、遠藤さんに言われたこともあり母校の制服でのデビューとなり、制服姿でのデビューは異例となりました。

 

発売して1年たつ頃には100万枚を売り上げる大ヒットを記録し、日本レコード大賞新人賞を獲得しました。

 

デビューしてから2か月後に舟木さんが主演を務めた映画が大ヒットを記録し、歌手としても俳優としても大きな活躍をみせます。

 

1964年3月には、東京・浅草国際劇場で初のワンマンショーを行い多くの観客を動員しました。1970年代にかけて、多くの曲を世に送り出してきた舟木さんは青春ものに限らず民謡調のものなど色々なジャンルに挑戦しファンを飽きさせることなく活躍し続けました。

 

舟木さんの曲は映画やドラマのタイアップ曲として起用されることも多く、日本レコード大賞で受賞したものも少なくありません。

 

そして1970年を過ぎたころ、時代は大きく移り変わり歌謡映画の需要が少なくなりました。それに伴い、歌謡曲も売れ行きは伸びず舟木さんは舞台や地方公演などしか仕事がなくなってしまいます。

 

そのこともあり、1970年・1971年・1972年と3度も自殺未遂をし、その後も10か月体調を崩し療養期間をもうけるなど心身共に不安定な時期が続いてしまいました。

 

デビューから30周年を迎えたころにプレ公演を行った舟木さんは、これを機に、『自分の歌は分かってもらえる人にだけわかってもらえればそれでいいのだ』と気持ちを持ち直し、テレビやコンサートでの活動を再開しました。

 

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舟木一夫は現在何をしているのか?

 

引用元: レクのうわさばなし (hatena.ne.jp)

 

舟木一夫さんは今年(2021年)で77歳になられます。現役時代は数多くのテレビ出演やライブ活動をされていましたが、現在はというと2012~2019年にかけて公演やライブを行ったり2021年には『舟木一夫コンサートツアー2021』も予定されており、その活動は全く衰えていないようです。

 

2020年はコロナの影響により公演はすべて中止になり一時活動休止状態でしたが、それまでは継続してファンの方々に歌声を届けているようです。

 

歌手の舟木一夫(75)が3日、ユーチューブで、「皆さんとお目にかかれなくて大変寂しい。僕はこうやって元気にしております」とメッセージを送った。公開したのは、DVD・CD「LIVE SELECTION 2012~2019」(8月26日発売)の収録14曲から。デビュー曲「高校三年生」は客席、舟木がそれぞれ歌った2017年の映像。ロック調バージョンのテレビ時代劇の主題歌「銭形平次」、映画主題歌の「学園広場」「絶唱」など1960年代の人気曲を選んだ。コロナ禍で3月の東京・新橋演舞場以降、すべての舞台が中止、延期されたという。自粛生活を送るが、「11月から仕事を始めることにしております」と意気込みも示した。

 

舟木一夫さんのまとめ

 

ということで、今回は歌手として一世を風靡した舟木一夫さんについて調べていきました。ご家族との関係はなかなか明かされていない部分も多かったですが、仲良く暮らされているといいですね。今後もご活躍を見守らせて頂きたいと思います。

 

そして最後に、最近筆者がはまっている岡田斗司夫さんの動画を紹介します!博識かつユーモアたっぷりで、なおかつ話が上手くて引き込まれてしまいますのでぜひ見てみてください!(^ ^)

 

 

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