日曜日の夕方の楽しみと言えば、「笑点」だという方もいるのではないでしょうか。笑点で紫の着物と言えば、楽太郎さん!と答える方も多いと思います。
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そんな楽太郎さんこと、6代目三遊亭円楽さんは多くの方に親しまれましたが、令和4年9月30日に亡くなってしまいました。そんな楽太郎さんにはお子さんがいたことが分かっています。
お子さんにはどんな教育をされていたのかなどを知って、楽太郎さんの人柄などにも触れてみたいと思います。今回は、楽太郎さんのお子さんについて見ていきましょう。
6代目三遊亭円楽(楽太郎)の子供(息子)は何人?
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6代目三遊亭円楽さんにはお子さんが1人いらっしゃって、息子さんであることが分かっています。息子さんは声優さんとして活動されています。
6代目三遊亭円楽さんこと、楽太郎さんも素敵な声をされていますが、息子さんも声優さんとだけあって、とても良い声をされているんですよね~!
楽太郎さんは息子さんが落語の道を選ばなくても良いと誕生した時から考えていたといいます。自分の夢を持つことが大切だと考えていたようですね。
6代目三遊亭円楽(楽太郎)の子供(息子)の名前は会一太郎?
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楽太郎さんの息子さんは、本名は「會 一太郎(あい いちたろう)」さんというのですが、声優さんとしての活動は「会 一太郎」さんというお名前で活動されています。
読み方は一緒ですが、一応芸名ということになりますね。実は声優さんとしての活動のために、楽太郎さんに弟子入りをして落語も学んでいます。
落語は長い話も覚えて自分の話のようにすらすら話すというイメージがありますが、声優さんも自分らしい語り口などがあると印象に残りやすいということからも、弟子入りをされたのでしょう。
弟子入り後には、三遊亭一太郎というお名前を貰っています。声優に落語家、そして2020年のコロナ渦になってからはVTuberとしても活動されています。
いろいろなことを取り入れて学んでいる姿は、さすが楽太郎さんの息子さんという感じがあります。新しいことなどを取り入れていくことは、自分自身の糧になっていくでしょう。それに加えて、前例がないことをしていくというのは後の世代の人達のためにもなりますよね。
6代目三遊亭円楽(楽太郎)の子供(息子)と馬?
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6代目三遊亭円楽さんの息子について調べていくと、「馬」という言葉が出てきます。これは6代目三遊亭円楽さんである楽太郎さんの師匠である5代目三遊亭圓楽さんのことを楽太郎さんが「馬」とからかっていたからなのでしょう。
師匠でありながらも大喜利などで共演をされると、5代目三遊亭圓楽さんをからかって楽しむ様子もあった楽太郎さん。本来であれば、師匠も怖い存在なのでしょうが、場を和ませたりする笑いなどであれば、許されていたのかもしれません。
司会者である歌丸さんとの掛け合いも楽しかったですが、歌丸さんと楽太郎さんの2人で5代目三遊亭圓楽さんをからかったりする姿も、尊敬しているかたこそ楽しい笑いに変えられるのかなと感じて面白かったのを覚えています。
6代目三遊亭円楽(楽太郎)の孫とは?
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楽太郎さんの息子さんである会一郎さんは、2016年8月に同じ所属事務所で声優をされている佐々木愛さんとご結婚されています。なんとお嫁さんはご結婚されてから、「會 愛(あい あい)」さんになったことも話題になっていました。
実はお子さんが誕生されているのですが、公には公表などをあされていません。2019年頃に誕生していたのでは?と言われているので、2024年で5歳くらいなのではないでしょうか?
楽太郎さんもお孫さんと少なからず会えてはいたのかな?と思いますし、きっと可愛がっていたのではないかな~と思います。
もっとお孫さんの成長も見たかったのではないかなと思うと悲しくなってしまいますが、きっと見守っているのではないかなと思います。
6代目三遊亭円楽(楽太郎)の若い頃?
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楽太郎さんは、小学生時代から落語を聞いているほど、とても落語が好きだったことが分かっています。子供の頃はスポーツも好きだったことから、スポーツをしながら頭の中では覚えた落語が流れていた時もあったようですね。
楽太郎さんは青山学院大学時代に師匠である5代目三遊亭圓楽さんに落語の世界に誘われたことから、前座の修行などをしながら大学を卒業されています。
声を掛けられた時にはすでに才能があったということなのでしょう。五代目圓楽一門会所属に所属すると、すぐに後継者として期待され、1977年には27歳という若さで笑点のレギュラーメンバーとなっています。
筆者も幼い頃から笑点を見ていて、楽太郎さんと当時の司会者である歌丸さんとの毒舌合戦もとても好きでした。からかったりされるのがとても面白かったのですが、本当に人を傷つけるようなことは言わない楽太郎さん。
たくさんの人から愛される方でした。それも、若い頃に5代目の三遊亭圓楽さんに認められたころからそうだったのかな~と思っています。
若い頃から、たくさんの落語の話を覚えて、地方などでの講演会などにも出向いたりと、多忙な日々を過ごされていたことから、本当に話が面白かったですよね。
若い頃からの努力によって、笑点メンバーにも選ばれたと思いますし、すでに若い頃には将来の三遊亭圓楽になることを約束されているくらいですから、相当な才能があったのでしょうね。
6代目三遊亭円楽(楽太郎)の弟子?
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楽太郎さんは、6代目三遊亭円楽を襲名する前のお名前なのですが、襲名後にも楽太郎さんと呼んでいる方も多かったのではないでしょうか。
楽太郎さんのお弟子さんは、みなさん楽太郎さんの「楽」という字をとって名付けられています。お弟子さんは、息子の一太郎さんも含めると10人いらっしゃいます。
三遊亭楽生さんを始め、楽京さん、楽市さんなど40代から50代くらいのお弟子さんが多いようですね。楽太郎さんが亡き後にはもっと教えてもらいたいことがたくさんあったと語っていたお弟子さん達・・・。
きっと楽太郎さん改め、6代目三遊亭円楽さんの背中はとても大きくて、なかなか越えられない存在なのでしょうね。師匠として、たくさんのことをお弟子さんに残されたのでしょう。
6代目三遊亭円楽(楽太郎)の若竹とは?
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5代目三遊亭圓楽さんは、1980年に大日本落語すみれ会を創立しています。1990年からは円楽一門会に改名されていますが、弟子たちの稽古場を設けるために、自身の財産を投げうって、当時の価格で1億4千万円ほどなので、今でいうと6億円以上を使って寄席若竹をオープンされています。
楽太郎さんは師匠である三遊亭圓楽さんについて、笑点で「謝金まみれ」などということを話されていることもありましたが、弟子のために自身のポケットマネーを使ってでも稽古場を設けるという器の大きな人ということも明かされていました。
誰しも弟子のためとはいえ、そこまでできる人ってなかなかいませんよね。楽太郎さんは5代目三遊亭圓楽さんをとても慕っていましたし、誰よりも尊敬されていました。
天国ではきっと会えていると思いますが、楽しく大喜利などをされていたらいいな・・・と思っています。歌丸さんともからかい合っていたらいいですよね(笑)
この記事のまとめ
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今回は、楽太郎さん改め6代目三遊亭円楽さんについて見てきましたが、いかがでしたでしょうか?6代目三遊亭円楽さんは、師匠と同じようには出来ないということもざっくばらんに明かされるなど、明るい性格をされていました。
師匠の良いところは真似るということはされていましたが、自身の考えや自身らしさも大切にされる方だったという印象があります。
息子さんにも跡継ぎをさせようということは考えていなかったことから、息子さんには息子さんの人生を歩んで欲しいという気持ちもあったことでしょう。
そういった気持ちなども息子さんに届いていたと思いますし、偉大な父親の背中もしっかりと息子さんには届いていたと思います。
これからも楽太郎さんが大切に育てた息子さんのご活躍も応援しつつ、これからも6代目三遊亭円楽さんの落語がたくさんの方に愛され続けるといいなと願っています。
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