今回は、昭和の名俳優である渥美清さんについてや、その家族の情報についてまとめていきたいと思います!
渥美清の息子は俳優?現在の画像や名前など情報まとめ
渥美清さんは本名を、田所康雄さんといいます。舞台に初主演をしたのは、1946年のことでした。最初は、チョイ役だったそうです。その後、1956年にテレビデビュー、その2年後には映画デビューをしています。
そして渥美清さんの代表作である「男はつらいよ」のテレビドラマが1968年にスタートします。その後映画化もされ、映画は1969年からシリーズ第50作まで公開がされています。
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「男はつらいよ」シリーズは、ファンが多いですよね。それゆえでしょうか、この作品の舞台である柴又駅には、寅さんの像もあります。
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そんな渥美清さんですが、プライベートではどのような生活をされていたのでしょうか。実は、渥美清さんは、私生活については言及されないようにしていたそうで、謎に包まれていた俳優さんなんだそうです。
なんでも寅さんのイメージを大切にしたいという思いが強かったんだとか。確かにシリアスな役柄を演じた俳優さんが、バラエティー番組で明るく話していたりすると、ギャップに驚くこととかありますよね。
渥美清さんは、自身の私生活について言及しないことで、ファンを裏切らないようにしていたのかもしれませんね。素晴らしい俳優さんですね。それゆえ、渥美清さんが亡くなってから分かったことも多かったんだそうです。
また子供については、娘さんが1人と息子さんが1人誕生しているので、お子さんはお2人いらっしゃるようですね!
今回は、特に息子さんにスポットライトを当てて、現在の画像や名前などの情報を調べていきたいと思います。また俳優なのではという噂もあるようなので、そちらも調べていきたいと思います!
渥美清の息子は俳優で名前は?
渥美清さんの息子さんのお名前を、田所健太郎さんといいます。田所健太郎さんは、1971年生まれです。
田所健太郎さんには、父親と同じ俳優をされているのでは?という噂があります。しかし、俳優などではなく、大学を卒業後にはニッポン放送に就職をしており、いわゆる会社員のようです。
また就職活動の際には、履歴書の家族について記載をする際に、「父:田所康雄 職業:俳優」と書いたそうです。
田所康雄は、渥美清さんの本名ですが、当時はその情報を知っている人はだれ一人いなかったそうです。そのため、面接官も無名の売れていない俳優がお父さんなのかなぐらいにしか思わなかったそうです。
田所健太郎さんは、渥美清さんが有名な俳優さんということもあり、息子さんがニッポン放送に就職をできたことは親のコネなのではないかと言われていたこともあったそうです。
しかしこのエピソードを見ると、渥美清さんの息子である田所健太郎さんは、実力でニッポン放送に入社をしたということが分かりますよね。
そして田所健太郎さんは、見事ニッポン放送に入社をしたわけですが、入社式に周りを驚かせる出来事が起こります。
当時のニッポン放送の入社式では、親に同席してもらうという習慣があったそうです。今では考えられないですが、子供の晴れ舞台を親に見てもらおうということなのでしょうか。
そのため田所健太郎さんのお父さんである田所康雄さんも、息子の入社式に参加をしたわけですが、まさかの名俳優である渥美清さんが田所康雄さんであるということが分かり、周りは大変驚いたんだそうです。
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また、渥美清さんはプライベートを世間にさらすのをNGとしていました。そのため、入社式に参加はしたものの、田所健太郎さんが渥美清さんの息子であるということは社外には漏れないようにしていたそうです。
そのため、ニッポン放送が会社の中に渥美清さんの息子がいるということを世間に公表したのは、渥美清さんが亡くなってからのことだったそうです。
その後、田所健太郎さんは人事異動などでの異動を断ると同時にニッポン放送を退社され、現在はフリーディレクターとして活動をされています。アニメ関係のお仕事が多いようですね!
田所健太郎さんは国民栄誉賞を渥美清さんが亡き後に受賞した際には、代理で出席したりされています。自身が渥美清さんの息子であるということなども、渥美清さんが亡くなってから公表をしているということです。
父親がプライベートを明かさないようにしていたことを尊重していたということですので、とても渥美清さん思いの息子さんなんだなと感じました。
渥美清の息子の現在の画像はあるの?
渥美清さんの息子さんである田所健太郎さんは、一般の方です。そのため画像を探しましたが、現在の田所健太郎さんの画像は見つけることができませんでした。
しかし過去のものでしたら探し出すことができました。それがこちらです。この画像は、渥美清さんが死後に国民栄誉賞を贈らせた際に、代理で受賞している時のものです。
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少し遠目ではありますが、なんとなくお父さんである渥美清さんに似ている気がしますよね。
渥美清の息子の大学やDVとは?家族情報まとめ
ここまでで渥美清さんの息子さんが田所健太郎さんということが分かりましたね。ではこここからは、さらに田所健太郎さんについて詳しく調べていきたいと思います。
大学や家族情報はもちろんのことや、田所健太郎さんは父親である渥美清さんからDV、つまり家庭内暴力をふるわれていたと告白しているのですが、その点の真実についても詳しくみていきたいと思います!
渥美清の息子の大学はどこ?
先ほど、渥美清さんの息子さんである田所健太郎さんがニッポン放送に就職をしたという話をしましたが、では学生時代はどのような生活を歩まれていたのでしょう。
調べてみたところ、田所健太郎さんは立教大学出身なんだそうです。立教大学とは名門の大学ですね。
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渥美清さんは教育にとても厳しかったそうなので、勉学に励むよう子供たちを指導していたのかもしれませんね。田所健太郎さんは、大学卒業後は、ニッポン放送に就職。
そしてニッポン放送で同期として活動していた山岡和美さんとご結婚されました。お嫁さんである山岡和美さんは2002年にニッポン放送を退社後には、フリーのナレーターとして活動をされているそうです。
渥美清の息子がDVとは?
2002年、渥美清さんの七回忌の際に息子である田所健太郎さんはあることを告白しています。それは、自分は幼少期に父親から家庭内暴力を受けていたということでした。これは本当なのでしょうか?
今はすでに渥美清さんもいらっしゃらないので、事実を確認するのは難しいですが、なんでも渥美清さんは子供の教育にはかなり厳しいおとうさんだったそうです。たとえば食事の際に食器の扱い方などが悪かったりすると、機嫌が悪くなったりしたそうです。
渥美清さんからすると、子供達が大人になった時に困ることがないようにと厳しくしていたのかもしれません。また昭和のお父さんというと、一家の大黒柱で、機嫌が悪くなればちゃぶ台をひっくり返すなんてこともあったのではないでしょうか。
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そう考えると、今では家庭内暴力と捉えられてしまうような行動が、どの家庭にもあった時代だったのかもしれません。田所健太郎さんが、なぜこのような告白を七回忌でしたのかは不明です。
寅さんのイメージを壊さないために、自分のプライベートを一切明かさなかった渥美清さん。そんな渥美清さんも家では普通のお父さんだったということを伝えたかったのかもしれません。
渥美清の妻・奥さんの写真と現在の様子
渥美清さんが演じた寅さんは、柴又育ちのテキ屋で風来坊というキャラクターでした。そしてそんなイメージがあったからか、演じた渥美清さん自身も独身と思っている方が多いかもしれません。
しかし渥美清さんには、17歳年が離れた嫁さんがいました。渥美清さんのお嫁さんの名前を、竹中政子さんといいます。
渥美清さんと竹中正子さんは、1969年3月17日に出雲大社で結婚式を挙げ、3月22日にはホテルニューオータニで結婚披露宴を行いました。
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結婚をした時、渥美清さんは41歳、竹中正子さんは24歳でした。今では年の差婚をする方は多いですが、それでも17個違うのはなかなか珍しいですよね。
またお二人の馴れ初めですが、どうも 家族ぐるみでの付き合いがあったようで、お二人が出会った頃、竹中正子さんは白百合学園中等部の3年生だったとも言われています。
大人と中学生ってどうなんだろうとも思いますが、家族間の付き合いがあったせいか交際自体は反対されなかったと言われています。
また、結婚式親族と親しい友人だけで行われました。どのような内容だったのかも、参列した芸能関係者に明かさないようにしてほしいとお願いしていたそうで、その方が渥美清さんの結婚式に出ていたことは渥美清さん亡き後に公表したそうです。
私生活を明かさないことを本当に徹底していますよね。またこの姿勢は、自分の寅さんのイメージを崩したくないという考えと、それに加えて一般人のお嫁さんへの配慮だったのではとも言われているそうです。
竹中政子さんは、現在もご存命のようで、今は画家として活動をしているそうです。また画家としての活動の際には、自分が渥美清さんの嫁であるということは一切出さすに、自分の力で頑張っているそうです。
また竹中正子さんが画家として活動を始めたのは、なんと60歳になってからなんだそうです。現在では大阪を拠点に展示会なども開いています。これからのご活躍も楽しみですね。
渥美清の娘は田所幸恵
先ほどから、渥美清さんの息子さんである田所健太郎さんについて詳しく見てきました!では娘さんの方はどのような方なのでしょうか。娘さんのお名前を、田所幸恵さんといいます。
田所幸恵さんは、渥美清さんの長女であるということ以外分かっていることがないようです。噂によると声優をしていたなんて話もあるようですが、こちらも本当のことなのかは分かっていません。
また渥美清さんは長女である田所幸恵さんを溺愛していたなんて話もあるそうです。40過ぎてからの女の子、可愛く感じてしまうのは納得してしまいますよね。
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いつか田所幸恵さんから、お父さんである渥美清さんのお話しも聞いてみたいものですね。
渥美清は生きていたら何歳?
渥美清さんは、1996年8月に病のためこの世を去っています。享年68歳でした。
渥美清さんの晩年は後程詳しくまとめますが、病との戦いだったそうです。しかし仕事場ではそのような姿は微塵も見せなかったそうです。役者魂を感じてしまうエピソードですよね。
また現在は2024年ですから、もし生きていたら96歳ということになりますね。
渥美清の年収や自宅が凄かった
渥美清さんの代表作である「男はつらいよ」シリーズは、ファンの多い日本を代表する映画シリーズの1つです。そしてその主演を演じてきた渥美清さんは、年収がとんでもない額だったと言われています。
画像引用元:シネマカフェ
渥美清さんの1つの作品のギャラは、なんと5000万から8000万だったそうです。そうなりますと年収は、とんでもない額だったんでしょうね。またそれだけ稼いでいたので、亡くなられた際の遺産は5億円以上だったそうです。
また生前、渥美清さんには2つの自宅があったそうです。1つが東京都目黒区にある一軒家で、こちらには家族がお住まいでした。そしてもう1つが、都内のマンションです。
渥美清さんはこのマンションにいることが多く、仕事や勉強はこちらで行っていたそうです。
渥美清の学歴
渥美清さんの学歴ですが、最終学歴は中央大学であるという話があります。しかしこれに関してはどうも信憑性が疑われてるようです。
そもそもご本人が中央大学出身と言ったわけではないようですね。中央大学に通っていたのではと言われているのは、渥美清さんが中央大学の生徒という設定で芝居を行ったから、そうなのではとなったと言われているそうです。
そもそも渥美清さん、芝居や芸能の道に来る前の経歴はよく分かっていないそうです。
本人もプライベートのことを話さない主義でしたし、そもそも戦前の話なので、学校の在籍していた時の書類などは戦争の影響でほとんど残っていないことも渥美清さんの過去に不明点が多い理由なんだそうです。
渥美清の人柄。性格悪い噂も?
1946年の18歳の時から俳優としての活動を行っていた渥美清さん。1996年に68歳で亡くなっていますが、代表作である「男がつらいよ」以外の作品にも多数の出演作があります。
そんな渥美清さんは、実は撮影現場では監督ともほとんど世間話などもせず、連絡先も知らなかったとも言われています。あまり人と深く関わるということがなかったようですね。
男はつらいよで演じていた寅さんは旅を続けていて、どこに行っても気さくな感じがありましたが、実際には寅さんとは真逆の性格をされていたとも言われています。
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また性格が悪かったなんて噂は、探しましたが見当たりませんでした。人付き合いは最小限に、自分のプライベートは話さない、そんな姿に中には接しにくいと思った方がいたのかもしれません。
しかし、これらの行動には渥美清さんの役者として生きるためのポリシーがあったに違いないのではないでしょうか。
最近は何でもネットで分かってしまう時代なので、渥美清さんのような生き方はなかなか難しいでしょう。しかしミステリアスな役者さんというのも素敵ですよね。
渥美清の晩年について
渥美清さんの晩年は、病との戦いだったそうです。1991年には、肝臓がん、94年には肺への転移が見つかりました。手術や入退院を繰り返しながら、役者としての活動をつづけました。
撮影では、立っていることがつらくなり、座って演じることが増えていったそうです。また、1991年頃には、スタッフや見物客への挨拶も省略して欲しいと申し出があるほど、身体は病にむしばまれていました。
また、渥美清さんが病であることは一部の関係者と家族以外には知らされていなかったそうです。そのためでしょうか、挨拶もしない渥美清さんを愛想が悪くなったなどと批判する方もいたんだとか。
主治医からは、これ以上の撮影は無理だと言われている中、役者としての活動を続け、第47作そして第48作に出演をしました。
そして渥美清さんは、第49作のロケの撮影を控えている中、1996年8月に亡くなられています。最期は家族だけで看取り、密葬にすること。家族以外の人には、葬式が終わってから伝えることなどを遺言に残したそうです。
渥美清と黒柳徹子の関係は
共演者などとあまり仲良くならないよう過ごしていた渥美清さんですが、お一人だけ渥美清さんと仲が良かったと言われている方がいます。
それが黒柳徹子さんです。お二人はあるドラマの共演で仲が良くなり、お互いを「おじょうさん」「兄さん」と呼び合う仲だったそうです。
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そんなお二人ですから時には熱愛を疑われたこともあったそうですが、実際はまるで兄弟のような仲だったそうです。
渥美清の死因は
渥美清さんは、1996年8月4日に転移性肺がんのため68歳で亡くなられています。関係者は、1996年6月末に渥美清さんと食事会をしたのが最後になったそうです。その時はいつもと変わらない様子だったとか。
画像引用元:週刊女性PRIME
亡くなる1週間前に、本人から「呼吸が苦しい」と訴えがあったことで、即入院。そして手術を行いますが、すでに手遅れの状態だったそうです。
生前に渥美清さんは「やせ細った姿は見せたくないから骨になってから公表してほしい」と言っていたそうで、最初に連絡をうけたのは、「男はつらいよ」シリーズの監督である山田監督でした。
そしての際には、すでに葬式は終わった後だったそうです。また世間に公表したのは、7日の午後でした。
渥美清の息子まとめ
今回は、渥美清さんの息子さんや娘さん達について見てきました。渥美清さんは寅さんのイメージを大切にしたいという思いから私生活は謎に包まれていましたが、お子さん2人に恵まれていたことが分かりましたよね。
お嫁さんは年の差があったこともあり、とても大切にされていたことでしょう。お子さん達にはとても厳しかったという渥美清さんですが、きっと愛情の裏返しだったのでは?とも思います。
これからもずっと渥美清さんが愛した「男はつらいよ」がずっと多くの人の心に残り続けると良いですね。
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