平野レミの息子は何人?和田唱・和田率の嫁・孫・現在を解説

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平野レミの息子について調べている方に向けて、この記事では息子2人の経歴から家族構成まで詳しくまとめています。平野レミの子供は何人いるのかというシンプルな疑問から始まり、それぞれの息子がどんな仕事をしているのかまで順を追って紹介していきますよ。

 

画像引用元:講演会なび

 

平野レミの子供は長男の和田唱さんと次男の和田率さんの2人です。長男はロックバンドTRICERATOPSのボーカル兼ギタリストとして28年以上にわたって音楽シーンで活動してきたミュージシャンで、次男は母の名を冠したキッチン用品ブランドremyを立ち上げたクリエイティブディレクターです。

 

音楽とビジネスというまったく異なるフィールドで活躍する2人の息子の個性は、平野レミさんが大切にしてきた自由にのびのびと生きるという子育て哲学の結晶といえるかもしれません。平野レミの年齢は2026年現在78歳ですが、息子たちや義娘たちに囲まれながら料理愛好家として精力的に活動を続けています。

 

平野レミの現在の姿を語るうえでは、長男の妻である女優の上野樹里さんや、次男の妻で料理研究家の和田明日香さんの存在も欠かせません。平野レミに娘のように慕われる2人の義娘が加わったことで、和田家はさらに温かみと個性あふれる一族になっていきました。

 

この記事では、平野レミの息子それぞれのプロフィールや仕事の内容に加え、夫の和田誠さんとの歩みや義娘たちとの嫁姑関係、孫3人と広がる家族の現在まで、和田家の全貌をまとめて紹介します。

 

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平野レミの息子は何人?長男・次男のプロフィールと経歴まとめ

 

以下では、平野レミさんの息子は何人いる?という疑問や、長男・次男のプロフィールや経歴も紹介していきたいと思います!

 

・平野レミの子供は何人?息子2人の年齢と基本プロフィール
・平野レミの学歴・経歴|料理愛好家になるまでの生い立ち
・平野レミの現在|年齢78歳・活動状況と近況
・平野レミの息子・長男「和田唱」の経歴とミュージシャンとしての現在
・平野レミの息子・次男「和田率」のプロフィールと現在の仕事
・平野レミの家族構成|華麗なる一族の全貌と受け継がれる才能

 

平野レミの子供は何人?息子2人の年齢と基本プロフィール

 

平野レミさんには、長男の和田唱さんと次男の和田率さんという2人の息子がいます。音楽とキッチン用品というまったく異なる分野でそれぞれが活躍しているのは、自由に育てられた家庭環境ならではといえるかもしれません。まずは2人の基本的なプロフィールから整理していきましょう。

 

息子2人の基本プロフィール早見表

 

2人の基本情報を一覧にまとめてみます。

 

項目 長男・和田唱さん 次男・和田率さん
生年月日 1975年12月1日 1979年8月15日
年齢(2026年現在) 50歳 46歳
職業 ミュージシャン(TRICERATOPS ボーカル・ギター) キッチン用品ブランド remy 代表・クリエイティブディレクター
女優・上野樹里さん 料理家・和田明日香さん
結婚年 2016年 2010年

 

2人の年齢差は4歳。平野レミさんが唱さんを産んだのは28歳のとき、率さんを産んだのは34歳のときになります。次男の率さんは「しっかり者」として知られ、幼少期から母・レミさんが忘れ物をしないかそっと確認するほどの面倒見のよさだったと伝えられています。

 

長男・和田唱さんはロックバンドのボーカリスト

 

画像引用元:KORG

和田唱さんは東京都渋谷区生まれ。渋谷区立西原小学校から玉川学園中学部に進み、その後は母・平野レミさんと同じ文化学院の専門課程美術科で学んでいます。自由な校風の文化学院での時間が音楽への情熱を育てたといわれており、在学中からバンド活動に没頭していたようです。

 

1996年にTRICERATOPSを結成し、翌1997年にシングル Raspberry でメジャーデビュー。1999年にリリースした GOING TO THE MOON がポカリスエットのCMに起用されたことで知名度が急上昇し、バンドはオリコンチャートでもトップ5に食い込みます。以降も作詞・作曲をほぼすべて自身でこなし、そのメロディセンスと演奏力はミュージシャンの間でも評価が高いです。

 

2025年1月には、東京・LINE CUBE SHIBUYAで無期限活動休止のラストライブを開催。解散ではなく「無期限休止」というスタンスで、再開の可能性は残されています。

 

唱さんが長年にわたって「平野レミの息子」であることをテレビや公の場で話すことを控えていたのは有名な話です。自分の音楽の力だけで評価されたいという強い信念があったからだとされていて、2026年2月に徹子の部屋で初めて親子でのテレビ共演が実現したときは大きな話題になりましたよ。

 

次男・和田率さんはキッチン用品ブランドの仕掛け人

 

画像引用元:Web・ザ・テレビジョン

和田率さんは1979年生まれ。慶應義塾大学を卒業後、大手広告代理店の電通にCMプランナーとして入社しました。在職中に手がけた仕事は Honda オデッセイ、コカ・コーラ ゼロ、日本マクドナルドのビッグマック、キヤノン PIXUS など名だたるブランドばかりで、広告業界での実力が伺えます。

 

2013年、3人目の子供の誕生を前に電通を退社。家族との時間を大切にしたいという気持ちが独立のきっかけになったとされています。そして母・平野レミさんの「キッチンから幸せ発信」というモットーをビジネスの形に落とし込み、キッチン用品ブランドの remy を立ち上げました。

 

remy は使いやすさとデザイン性にこだわったキッチン用品を展開しており、平野レミさん監修のレミパンプラスはヒット商品として知られています。さらに子ども向けの食育アプリや、音声で操作できるスマートコンロの企画開発など、食とテクノロジーを組み合わせた新しい試みにも精力的に取り組んできました。準食学士の資格も保有しており、2021年には食学親善大使にも就任しています。

 

著書「お弁父」では、長女が小学校に入学したのをきっかけに毎朝お弁当を作る父親としての日常を発信し、料理する父親という新しいスタイルを提案したことでも話題を呼びました。モットーは「退屈なものを楽しく」で、食の世界をどう面白くするかを常に考え続けているクリエイターです。

 

息子たちの妻も話題の存在

 

画像引用元:ORICON NEWS

ここは触れておきたいポイントですよね。長男・唱さんの妻は女優の上野樹里さんです。上野さんはもともとTRICERATOPSのファンだったといわれており、音楽を通じて距離が縮まったとされています。2016年5月26日に結婚を発表し、唱さんが11歳年上という年齢差はレミさんと和田誠さんの11歳差とまったく同じという偶然の一致が話題になりました。

 

画像引用元:ヘルシスト

次男・率さんの妻は料理家・食育インストラクターとして人気の和田明日香さんです。明日香さんが大学生だった頃、インターンとして MTV JAPAN に関わっていたときに知り合い、2010年に学生結婚という形で結婚しました。現在は長女のコナちゃん、長男の威馬くん、次女のニナちゃんという3人の子供がいて、平野レミさんにとっては自慢の孫たち3人の存在が大きな支えになっています。

 

平野レミの学歴・経歴|料理愛好家になるまでの生い立ち

 

 

画像引用元:Always Listening

 

平野レミさんといえば料理の印象が圧倒的に強いですが、実はもともとはシャンソン歌手としてキャリアをスタートした人なんです。どんな家庭に育ち、どんな学校生活を送って、どういう経緯で料理の世界に入っていったのか。その道筋を追うと、レミさんの自由奔放なキャラクターの源がじんわりと見えてきますよ。

 

国際色豊かな家系と幼少期

 

平野レミさんは1947年3月21日、東京都台東区生まれで、その後千葉県松戸市で育ちます。本名は和田レミ(旧姓・平野レミ)。

 

家系のルーツが非常にユニークで、まず祖父がスコットランド系アメリカ人(一説ではフランス系とも)の法律家・日本美術愛好家のヘンリイ・パイク・ブイさんという人物です。

 

来日後に日本の書画の世界に魅了された彼は、日本美術を英語やフランス語で紹介する著書を出版したほか、当時アメリカ西海岸で高まっていた排日運動に際して日系移民の権利擁護に尽力し、1905年にはサンフランシスコ日米協会を設立して初代会長に就任しています。

 

渋沢栄一が率いた渡米実業団を自邸に招いたという記録も残っており、日米の架け橋として活躍した人物でした。

 

その息子が、レミさんの父であるフランス文学者・詩人の平野威馬雄さんです。アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれた威馬雄さんは、いわゆる「あいの子」として幼少期から偏見や差別を経験してきました。

 

戦後にはそうした境遇の子供たちを支援する団体「レミの会」を設立。この会の名前は、父ヘンリイから「レミ」という愛称で呼ばれていたことに由来しており、小説「家なき子」の主人公の名前でもあります。逆境に負けず明るく生きてほしいという願いが込められたその名を、威馬雄さんは娘にそのまま授けました。

 

つまり平野レミさんはクォーターにあたります。父は陽気で人好き、母は料理上手でおっとりとした優しい人で、両親ともに「ああしちゃダメ」「こうしちゃダメ」とは言わない自由な家庭で育ったとレミさんは語っています。

 

母親が毎朝削る鰹節の音を目覚まし代わりに聞いて育った幼少期は、食への感受性が自然と育まれる環境でもありました。小学生のときに初めて1人でカレーを作ったのが料理の原体験だといいます。

 

学歴まとめ

学校 詳細
小学校 松戸市立中部小学校
中学校 詳細は明らかにされていないが、卓球部に所属
高校 東京都立上野高校(偏差値62・1年在籍後中退)
専修学校 文化学院(高等専修学校・美術・文芸系)

 

小学校は千葉県松戸市の松戸市立中部小学校に通いました。緑豊かな環境の中で庭の木に登ったり野山を走り回ったりと、活発な幼少期を過ごしています。

 

中学時代は卓球部に所属していて、夏の部活合宿では料理当番としてカレーを担当しました。ところがそのカレーがかなり辛かったようで、同窓会のたびに「レミのカレーは辛かった」と言われるエピソードとして語り継がれているそうです。

 

高校中退から文化学院へ

 

高校は偏差値62の東京都立上野高校に進学します。当時は東大合格者を複数出すほどの進学校で、かなりレベルの高い環境でした。しかし1年生のうちは何とか授業についていったものの、2年生になると校則や授業の窮屈さに耐えられなくなっていきます。

 

有名なエピソードが、国語の授業中に教科書と違うページを読んでいてそのことを先生に指摘されたとき、「先生さようなら、みなさんさようなら」と教室を出てそのまま学校に行かなくなったというものです。

 

父・威馬雄さんはその決断にも反対せず、「レミにはもっといい学校がある、そこへ行け」と背中を押してくれたといいます。この親の姿勢が、レミさんの自由な生き方を形成していく大きな支えになっていたのかもしれません。

 

高校中退後は高等専修学校の文化学院に入学します。東京都墨田区両国にあったこの学校は、美術・文芸・音楽・演劇など幅広い分野を学べる自由な校風が特徴で、多くのクリエイターを輩出してきた場所です。

 

息子の和田唱さんも後に同じ文化学院に進むことになります。在学中はシャンソンに傾倒し、父の知人だった声楽家の佐藤美子さんのもとでシャンソンを本格的に学び始めました。

 

シャンソン歌手としてデビューし、歌手の道を断念するまで

 

文化学院在学中、自宅にあったシャンソンのレコードを聴き込むうちにその魅力に取りつかれたレミさんは、日航ホテルのミュージック・サロンのオーディションを受けて合格し、歌手としてステージデビューを果たします。その実力が認められてレコード会社からも声がかかり、1970年に「誘惑のバイヨン」で歌手デビューします。

 

ただし、本人が希望していたのはシャンソンでしたが、「シャンソンはまだ君には早い」という理由で歌謡曲でのデビューとなります。その後もシャンソンを歌わせてもらえないまま楽曲が続き、4枚目は「かもねぎ音頭」というタイトルで、銀座でねぎを背負いながらプロモーション活動をするよう命じられそうになりました。その状況に嫌気が差し、レコード歌手の道を断念します。

 

その後はTBSラジオのディレクターに声をかけられ、久米宏さんのアシスタントとしてラジオ番組に出演するようになりました。ここでのユニークなキャラクターが評判を呼び、レミさんの表現者としての素地が育まれていきます。

 

結婚後に訪れた料理家としての転機

 

1972年、25歳で和田誠さんと結婚してからは主婦業と育児に専念する時期が続きます。夫の和田誠さんが自宅によく人を招く習慣があったため、冷蔵庫にある食材でパパッと家庭料理を作って振る舞うことが日常になっていきました。

 

その家庭の味に感激したのが、ジャズピアニストであり美食家でもあった八木正生さんです。雑誌にグルメエッセイを書いていた八木さんが「次の筆者に平野レミを」と指名したことが、料理を仕事にするきっかけになりました。エッセイが掲載された雑誌が発売されると、その日のうちに料理の仕事依頼が舞い込み始め、NHKの「きょうの料理」に出演する機会を得ます。

 

初出演でトマトを切らずにそのままつぶすというやり方を見せたところ、「下品だ」という抗議電話がNHKに殺到。プロデューサーからも注意されましたが、数日後には「ユニークで面白い」と評判が逆転し、仕事の依頼がどんどん増えていきました。こうして料理愛好家・平野レミさんが誕生したわけです。

 

あえて「料理研究家」ではなく「料理愛好家」という肩書を選んでいる点もレミさんらしいところです。資格や権威ではなく、料理をとことん楽しむという姿勢を貫いてきた結果が、今のあのエネルギッシュなキャラクターにつながっているのかもしれませんよね。

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平野レミの現在|年齢78歳・活動状況と近況

 

1947年3月21日生まれの平野レミさんは、2026年現在78歳(取材当時)。夫・和田誠さんを2019年に亡くしてからも、そのパワフルなキャラクターはまったく衰えを見せていません。料理愛好家としてテレビや雑誌への露出を続けながら、家族との絆をますます深めているんですよ。

 

2026年2月、息子との親子初共演で大きな話題に

 

2026年2月5日、平野レミさんは長年の友人・黒柳徹子さんが司会を務める徹子の部屋(テレビ朝日系)に、長男の和田唱さんとともに出演しました。これが親子としてのテレビ初共演で、放送前後から注目を集めました。

 

実はこれまで、平野レミさんは和田唱さんから「テレビで親子関係を言っちゃダメだ」と数十年間にわたって釘を刺されていたんです。ようやく許可が出て実現した共演に、平野レミさんはXで「だって唱に言っちゃダメだと言われ続けて数十年、ようやくお許しがでましたぁ笑」とユーモアたっぷりに投稿していました。

 

番組では黒柳さんが旧知の仲だった故・和田誠さんとの思い出を交えながら、幼い頃から知る和田唱さんの成長に目を細めるシーンもあり、感動的な放送内容だったと伝えられています。

 

奇しくも平野レミさんは、この徹子の部屋がスタートした1976年に父・平野威馬雄さんと親子共演をした経緯があります。約50年の時を経て、今度は自分の息子との親子共演という、感慨深い節目となりました。

 

夫を亡くした後も”レミ流”を貫く活動の現在

 

2019年10月に夫・和田誠さんが肺炎のため83歳で亡くなったあと、47年間連れ添った伴侶を失ったショックは相当なものだったといいます。「あまりにも好きな人と結婚しないほうがいい。後がつらい」と涙ながらに語った場面が報じられ、多くのファンが心を痛めました。

 

それでも平野レミさんはキッチンから離れることなく、料理愛好家としての活動を継続。次男の嫁・和田明日香さんとともに料理番組に出演するなど、精力的な仕事ぶりが続いています。

 

レシピ本も引き続き出版されており、自炊ごはんというタイトルで毎日のごはん作りに役立つ72品を紹介した著書も読者から好評を得ています。せっかちな彼女ならではの時短発想や、冷蔵庫の残り物でなんとかするアプローチは、主婦層を中心に根強い支持を集めていますよね。

 

義娘・孫たちとの暮らしと近況

 

夫を亡くして以来、平野レミさんの精神的な柱となっているのが息子家族の存在です。次男・和田率さん一家は代々木上原近辺に在住しているとも伝えられており、近くに住む孫たち(長女のコナちゃん、長男の威馬くん、次女のニナちゃん)とも頻繁に交流しているようです。

 

次男の嫁・和田明日香さんとの関係は、もはや料理仲間といった趣で、テレビ番組では平野レミさんの”暴走”を和田明日香さんが冷静にツッコむスタイルが定番化しています。平野レミさん自身、「明日香ちゃんがいてくれるから、私は自由でいられる」と全幅の信頼を寄せているんだとか。なんとも素敵な嫁姑関係ですよね。

 

2人の義娘については、平野レミさんがこんなふうに語っています。「お嫁さんたちは、生きて存在してくれるだけでありがたい。タダで完成された娘さんがポッと来てくれたのよ。おまけにかわいくて、息子のお世話をしてくれて、孫まで産んでくれて。私は大得よ。お嫁さんに文句なんかひとつもない。」この言葉に、平野レミさんの人柄と家族への深い愛情がにじみ出ています。

 

平野レミさんの現在のプロフィール

 

項目 内容
本名 和田レミ(わだ れみ)
生年月日 1947年3月21日
出身 東京都台東区
血液型 O型
職業 料理愛好家・シャンソン歌手
所属 Remix
家族 長男・和田唱、次男・和田率、孫3人

平野レミの息子・長男「和田唱」の経歴とミュージシャンとしての現在

 

平野レミさんの長男・和田唱さんは、ロックバンドTRICERATOPSのボーカル兼ギタリストとして、日本の音楽シーンで28年以上にわたって活躍してきたミュージシャンです。有名人の親を持ちながら、その看板を一切使わず自分の音楽だけで道を切り拓いてきた姿勢は、業界内外から高く評価されています。

 

和田唱さんのプロフィール

 

項目 内容
生年月日 1975年12月1日
出身 東京都渋谷区
血液型 O型
身長 171cm
学歴 渋谷区立西原小学校→玉川学園中学部→文化学院専門課程美術科
職業 ミュージシャン(ボーカル・ギター・作詞作曲)
配偶者 上野樹里(2016年5月結婚)
趣味 映画鑑賞、古いオーディオ収集、車の改造、ディズニーランド

 

幼少期の個性と異色の学歴

 

東京都渋谷区で育った和田唱さんは、渋谷区立西原小学校を卒業後、玉川学園中学部へ進学しています。ただ、玉川学園時代には母・平野レミさんが学長から「和田君はうちの学校に向いていない」と呼び出されたというエピソードが残っており、小さい頃から相当に個性的な存在だったことがうかがえます。

 

夫の和田誠さんに「君だって自由にやってきたじゃないか」と諭された平野レミさんは、そこから教育方針を変えていったと伝えられています。

 

中学卒業後は平野レミさんの母校でもある文化学院専門課程美術科に進学しました。東京都墨田区両国にあったこの学校は美術・文芸・音楽・演劇などを学べる自由な校風が特徴で、2018年に閉校しています。

 

和田唱さん自身は「中学時代が一番しんどかった。文化学院時代は大変楽しかった」と語っており、この時期に芸術的な感性をしっかりと磨いたことがその後の音楽活動の土台になっているんでしょうね。

 

ギターとの出会いもこの頃で、内気だった少年時代に音楽にのめり込んでいったとされています。マイケル・ジャクソンへの傾倒でも知られており、NONA REEVESの西寺郷太さんと並ぶ日本屈指のMJマニアとして音楽ファンの間では有名な存在です。

 

TRICERATOPSの結成とメジャーデビュー

 

和田唱さんが中心となってTRICERATOPSを結成したのは1996年のことです。翌1997年にシングルのRaspberryでエピックレコードジャパンよりメジャーデビューを果たし、ポップでキャッチーなロックサウンドと、日本語と英語を自在に組み合わせた詞のセンスが話題を集めました。

 

バンドの知名度を全国区に引き上げた最大のきっかけが、1999年にリリースしたGOING TO THE MOONです。ポカリスエットのCMソングに起用され、初めてオリコン5位を記録。幅広い世代の耳に届いたことで、バンドとしての認知度が一気に広がりました。

 

当時はワタナベエンターテインメントの音楽部門に所属していたこともあり、CMやドラマとのタイアップが続いていた時期です。作詞・作曲のほぼ全てを和田唱さんが手がけており、そのメロディセンスと演奏技術はミュージシャン仲間からも厚く評価されています。

 

「有名人の息子」を封印して歩んだキャリア

 

和田唱さんが平野レミさんや和田誠さんを親に持つことを長年公の場で明かさなかったのには、明確な理由がありました。自分自身の音楽で評価されたいという強い意志です。母に「テレビで親子関係を言うな」と数十年間にわたって釘を刺し続けたのも、その表れでしょう。

 

2012年以降はトリニティー・アーティストという個人事務所・インディーズレーベルに移籍し、自分たちのペースでより自由に活動するスタイルへシフト。途中、音楽の方向性に迷いを感じた時期もあったと本人が語っていますが、3ピースバンドとしての形を崩さずアルバムリリースとライブ活動を継続してきました。

 

2017年にはメジャーデビュー20周年を迎え、記念公演も実施。ファンからは長年にわたって「トライセラ」の愛称で親しまれ、根強い人気を誇り続けてきた実力派バンドです。

 

2025年1月、バンドが無期限活動休止へ

 

ここ最近の大きなニュースとして、TRICERATOPSの無期限活動休止があります。2025年1月10日、東京・LINE CUBE SHIBUYAにて全国ツアーの最終公演を行い、その後バンドは無期限の活動休止に入りました。ツアータイトルはDEMOLITION&ELEVATIONで、約28年にわたる活動の一区切りを告げるライブに、多くのファンが集まったと伝えられています。

 

解散ではなく「休止」という位置づけのため、いつか再び動きがあるのでは、と期待しているファンも少なくないようです。和田唱さん自身はソロ活動も展開しており、バンド休止後もミュージシャンとしての活動を続けていく姿勢を示しています。

 

妻・上野樹里さんとの夫婦生活

 

和田唱さんと上野樹里さんが入籍したのは2016年5月26日です。上野さんはもともとTRICERATOPSのファンを公言していた人物で、音楽がふたりを引き合わせたというエピソードがあります。

 

年齢差は11歳(和田唱さんが年上)で、平野レミさんと故・和田誠さんの年齢差とまったく同じというのも、家族のなかで話題になったようです。結婚後も互いの仕事を尊重し合う夫婦として知られており、上野さんのインスタグラムにはふたりのツーショット写真が多く投稿されています。

 

上野さんがTRICERATOPSのボーカルである和田唱さんと結婚することが発表された際、平野レミさんはSNSで「おめでタイ!」と記した後、息子と嫁の名前をもじった料理レシピを投稿してユニークに祝福したことも大きな話題になりました。平野レミさんらしい祝い方ですよね。

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平野レミの息子・次男「和田率」のプロフィールと現在の仕事

 

平野レミさんの次男・和田率(わだ りつ)さんは、母の料理哲学をビジネスとして形にしてきた、クリエイティブな経営者です父・和田誠さんのデザイン的センスと、母・平野レミさんの食への情熱を両方受け継いだような活躍ぶりで、食とテクノロジーをかけ合わせた新しい分野を切り開いていますよ。

 

和田率さんの基本プロフィール

 

まずは和田率さんの基本情報を整理しておきましょう。

 

項目 内容
本名 和田率(わだ りつ)
生年月日 1979年8月15日
出身地 東京都
最終学歴 慶應義塾大学卒業
職業 remyブランド代表・クリエイティブディレクター
和田明日香(食育インストラクター・料理研究家)
資格 準食学士
モットー 退屈なものを楽しく

 

兄の和田唱さんが1975年12月生まれですから、和田率さんとは4歳差になります。子どもの頃から性格は兄とは正反対で、しっかり者として知られていたようです。平野レミさんは当時を振り返り、「遠足に行く1週間前から水筒に麦茶を入れて準備しちゃう子だった」と笑いながら語っています。

 

学校の持ち物なども友達のお母さんに確認してもらうほど段取り上手で、自分の母親であるレミさんが忘れっぽいことを幼いながらにしっかり把握していたんです。ちょっとしっかりしすぎてかわいいですよね。

 

電通時代のキャリアと退社の理由

 

慶應義塾大学を卒業後、和田率さんが選んだのは日本最大手の広告代理店・電通でした。そこでCMプランナーとして腕を磨き、手がけた仕事の顔ぶれもなかなかのもの。ホンダのオデッセイ、コカ・コーラ ゼロ、日本マクドナルドのビッグマック、キヤノンのPIXUSなど、誰もが知る有名ブランドのCMに関わっています。

 

これほどのキャリアがあれば、そのまま電通で昇り詰めていく道もあったはずです。ところが和田率さんは2013年、電通を退社します。きっかけは3人目の子どもが妊娠中だったこと。家族との時間をもっとつくりたいという思いが、退社を決めた大きな理由になったといわれています。仕事ではなく家庭を最優先にした決断は、父・和田誠さんが家では仕事の話を一切しなかった家庭環境の影響があるかもしれません。

 

電通退社後はしばらく、株式会社ニーシーズという広告・企画制作会社の執行役員としても活動していたようで、完全に広告の世界を離れたわけではありませんでした。クリエイティブな才能を活かしながら、次のステージへ向けて着々と準備を積み重ねていた時期だったんですね。

 

remyブランドの立ち上げと現在の活動

 

和田率さんが立ち上げたのが、キッチンウェアブランドのremyです。母・平野レミさんの名前をもじったブランド名で、レミさんを公式スーパーバイザーに迎えながら、使いやすさとデザイン性を両立したキッチン用品の企画・開発を手がけています。

 

なかでも知名度が高いのがレミパンプラスです。深型で多用途に使えるフライパンとして人気を集め、テレビや雑誌でも頻繁に取り上げられています。平野レミさんが考案したキッチン用品ですが、その企画・開発プロデュースには和田率さんが深く関わっていて、まさに母と子のコラボレーションといえる商品です。

 

remyの活動はキッチン用品の販売にとどまらず、多岐にわたります。

 

  • 子ども向け食育アプリの制作・企画
  • 音声操作ができるスマートコンロの企画開発
  • 雑誌やラジオへの出演
  • 講演会活動
  • 著書お弁父の出版

 

お弁父はタイトルが示す通り、父親がお弁当を作るというコンセプトの一冊で、長女さんが小学校に入学したことをきっかけに毎日のお弁当づくりを自ら志願した和田率さんの実体験から生まれました。食育のメッセージを添えたお弁当の写真をインスタグラムに投稿して話題になったことが、出版につながったといわれています。

 

2021年には食学親善大使にも就任しており、準食学士の資格とあわせて、食に関する専門的な知識と経験を公の活動にも存分に活かしています。モットーの退屈なものを楽しくという言葉には、広告マン時代から変わらないクリエイターとしての視点が凝縮されているように感じますよね。

 

妻・和田明日香さんとの家族生活

 

和田率さんの妻は、食育インストラクター・料理研究家として人気の和田明日香さんです。2人の出会いは、明日香さんが立教大学在学中にMTV JAPANでインターンとして働いていたとき。就職活動の流れで知り合ったと伝えられています。当時の和田率さんは電通でバリバリ働くCMプランナーでしたから、そのクリエイティブなオーラに惹かれたのかもしれませんね。

 

2人は2010年に結婚。明日香さんが23歳の大学生の時でした。いわゆる学生結婚で、授かり婚だったことも知られています。結婚当初、明日香さんはキャベツとレタスの区別もつかないほど料理が苦手だったといいます。ところが義母の平野レミさんのそばで料理を学ぶうちに腕を上げ、今では食育インストラクターの資格を持ち、テレビや雑誌で引っ張りだこの料理研究家へと成長しました。この変化ぶりは本当に驚きですよね。

 

2人の間には3人の子どもがいて、長女のコナちゃん、長男の威馬(いうま)くん、次女のニナちゃんという家族5人で都内の3階建て一軒家に暮らしています。義母の平野レミさんが近所に住んでいるため、ちょくちょく遊びに来るというほのぼのとした関係が続いているようです。

 

平野レミの家族構成|華麗なる一族の全貌と受け継がれる才能

 

平野レミさんの家族は、芸能・文化・食・ビジネスと、まったく異なる分野にわたる才能が集まる豪華な一族として知られています。その家系を辿ると、明治時代に来日したアメリカ人の祖父にまで遡り、国境を超えた文化交流の歴史と創造性の連鎖が見えてきます。ここでは、レミさんを中心とした家族全体の構成と、各メンバーが受け継いでいるものを整理していきますよ。

 

家系図で見る平野・和田家の全貌

 

まずは家族の全体像を一覧にしておきましょう。

 

続柄 名前 職業・肩書き
祖父(曾祖父) ヘンリー・パイク・ブイ スコットランド系アメリカ人の弁護士・日本美術愛好家
平野威馬雄 フランス文学者・詩人
和田誠 イラストレーター・映画監督・エッセイスト(2019年逝去)
長男 和田唱 TRICERATOPSボーカル・ギタリスト
長男の妻 上野樹里 女優
次男 和田率 remyブランド代表・クリエイティブディレクター
次男の妻 和田明日香 食育インストラクター・料理研究家

 

このラインナップを見るだけで、すごいと感じませんか。文学・芸術・音楽・食・ビジネスと、それぞれがまったく異なる分野で活躍しているのに、どこかに共通する創造性の糸が通っているように感じます。平野レミさん自身の個性的なキャラクターも、こうした家系の流れの中で育まれてきたものなんです。

 

国際的なルーツ|祖父ヘンリー・パイク・ブイの足跡

 

平野レミさんの血筋を辿ると、スコットランド系アメリカ人のヘンリー・パイク・ブイさんに行き着きます。カリフォルニアで弁護士として活動していたヘンリーさんは、妻との死別を機に日本へ渡り、日本美術の美しさに深く魅了されました。単なる愛好家にとどまらず、日本画の技法を英語やフランス語で紹介する本を出版するなど、文化の伝道師としての側面も持っていた人物です。

 

さらに、20世紀初頭にアメリカ西海岸で高まっていた排日運動の時代、日系移民の権利を守るために奔走したことでも知られています。1905年にはサンフランシスコ日米協会を設立して初代会長に就任し、日米の架け橋として活躍しました。1909年には渋沢栄一が率いる渡米実業団を自邸に招いたという記録も残っており、明治天皇から勲二等旭日重光章を授与されるほどの功績を残した人物でした。

 

ヘンリーさんは日本で妻・駒さんと結ばれ、後に平野レミさんの父となる威馬雄さんが誕生します。遺言で資産の半分を日本の家族に残したとも伝えられており、遠く離れた家族への深い愛情を最後まで持ち続けた人だったことがわかります。

 

平野レミさん自身がクォーターにあたるのも、この家系の歴史によるものです。レミという名前も、ヘンリーさんが威馬雄さんに付けた愛称に由来していて、逆境に負けず明るく生きる小説の主人公から取られた名前だということを知ると、レミさんの明るいキャラクターにも深い意味があるように感じてきますよね。

 

父・平野威馬雄から受け継いだ自由への精神

 

父の平野威馬雄さんはフランス文学者・詩人として知られ、アメリカ人の父と日本人の母の間に生まれたことで「あいの子」と呼ばれ、幼少期に差別や偏見を経験しました。その経験をもとに、戦後は同じような境遇の混血児を支援する団体を立ち上げています。その団体名がレミの会で、父ヘンリーさんが威馬雄さんを呼んだ愛称から取られています。

 

威馬雄さんがレミさんに残した最大の遺産は、好きなことを自由にやり抜くことを認める姿勢でした。平野レミさんが高校に行きたくないと打ち明けたとき、威馬雄さんは「いいよ、やめろやめろ。好きなことを徹底してやれ」と背中を押したといいます。反対するどころか、自分の道を見つけることを何よりも応援してくれた父親の存在が、今の平野レミさんのキャラクターをつくったといっても過言ではないでしょう。

 

この自由にのびのびと生きることを尊重する精神は、息子たちの育て方にもそのまま引き継がれています。レミさん自身も2人の息子を基本的に自由にのびのびと育てたと語っており、音楽の道に進んだ長男も、広告からキッチン用品へと転身した次男も、どちらも自分の意思で自分の道を選んでいます。

 

夫・和田誠さんとの歩みと家族の空気

 

2019年10月に83歳で亡くなった夫の和田誠さんは、週刊文春の表紙イラストで長年親しまれたイラストレーターであり、映画監督・エッセイストとしても多方面で実績を残した人物です。1984年の映画麻雀放浪記や1988年の快盗ルビイなど、監督作品でも高い評価を得ました。菊池寛賞のほか、キネマ旬報読者賞など数多くの賞を受賞しています。

 

仕事での実績もさることながら、家族を語る上で欠かせないのは家庭での姿です。家ではほとんど仕事の話をせず、レミさんの型破りな料理を誰よりも楽しみ、静かに妻を見守り続けた人だったと伝えられています。風邪をひいたレミさんのドアの前に黙って参鶏湯を置いておくような、言葉より行動で愛情を示す人だったようです。

 

1972年に出会ってから47年間をともに歩んだ夫を亡くしたレミさんは、その後も息子や義理の娘たちに支えられながら、料理愛好家として精力的に活動を続けています。家族の存在がレミさんの原動力になっているのは、見ていて伝わってきますよね。

 

長男・和田唱さんと上野樹里さん夫妻が築くもの

 

長男の和田唱さんは1975年生まれのミュージシャンで、ロックバンドTRICERATOPSのボーカル兼ギタリストとして1997年にメジャーデビューしました。バンドではほぼ全曲の作詞・作曲を手がけており、音楽への深い情熱は父・和田誠さんのクリエイティブな才能と通じるものがあります。

 

1999年のシングルGOING TO THE MOONがポカリスエットのCM曲に起用されてバンドの知名度が一気に上がり、オリコン5位を記録しました。2025年1月には、TRICERATOPSとしての無期限活動休止を発表。LINE CUBE SHIBUYAでのラストライブをもって一区切りをつけ、新たなフェーズに入っています。

 

2016年5月に女優の上野樹里さんと結婚した際、11歳の年齢差が話題になりました。実はこれ、平野レミさんと和田誠さんの夫婦の年齢差(11歳)と奇しくも同じだったんです。上野さんはもともとTRICERATOPSのファンで、そのつながりが縁を結んだといわれています。

 

2人の関係性について、平野レミさんは上野さんのことを「裏表がなくて、ストレートで気持ちがいい子。私と似ている」とべた褒めしています。和田家の集まりには必ず顔を出し、「レミさん」と呼んで慕う姿は、単なる嫁姑の関係を超えた家族の絆を感じさせます。

 

嫁姑関係と孫たちへ受け継がれる才能の連鎖

 

平野レミさんの家族に共通しているのは、嫁姑関係が良好という点です。上野樹里さんとの関係はすでに触れましたが、次男の妻・和田明日香さんとの関係もまた独特で温かみのあるものになっています。

 

当初は料理が大の苦手だった明日香さんが、義母のそばで料理を学ぶうちにプロの料理研究家へと成長した流れは、まるでキッチンを舞台にした師弟関係のようです。今では平野レミさんと明日香さんが2人でテレビ番組に出演し、レミさんが自由に暴走するのを明日香さんが冷静につっこむというスタイルが定番化しているほどです。

 

レミさんが「明日香ちゃんがいてくれるから、私は自由でいられる」と全幅の信頼を寄せているのも、この関係性をよく表しています。次男夫婦には3人の子どもがいて、平野レミさんにとっては大切な孫たちです。近所に住むレミさんが遊びに来る日常的なやりとりの中で、食への愛情や創造性が自然なかたちで受け継がれていくのかもしれません。

 

2026年2月には、平野レミさんと長男・和田唱さんが徹子の部屋(テレビ朝日系)に親子として初めてテレビ共演するという出来事がありました。数十年にわたって唱さんの意思を尊重し、テレビで親子関係を大々的に語ることを控えてきたレミさんの姿勢は、子どもの個性と自立を信じるという和田家の家庭哲学の体現といえます。

 

祖父から父へ、父からレミさんへ、そして息子や孫たちへ。世代を超えて受け継がれているのは、特定の職業や才能というより、好きなことを自由に、楽しくやり抜くという生き方そのものかもしれませんね。

 

平野レミの息子の嫁・妻は誰?上野樹里・和田明日香との家族関係を調査

以下では、平野レミの息子の嫁である、上野樹里さん・和田明日香さんについてや、家族関係を見ていきたいと思います。

 

・平野レミの旦那・和田誠とは|結婚のきっかけと47年間の夫婦の絆
・平野レミの息子・長男の嫁は上野樹里|結婚の経緯と嫁姑関係
・平野レミの息子・次男の妻は和田明日香|料理研究家になるまでの経緯
・平野レミの嫁2人との関係|「タダで完成した娘が来た」感謝のエピソード
・平野レミの家族エピソード|孫3人と広がる「和田家」の現在
・平野レミの息子・家族が語る母の素顔|子育て方針と家庭の雰囲気

 

平野レミの旦那・和田誠とは|結婚のきっかけと47年間の夫婦の絆

 

平野レミさんのあのエネルギーの源を語るには、2019年に亡くなった夫・和田誠さんの話を抜きにすることはできません。イラストレーターや映画監督として日本のクリエイティブ界を長年牽引した和田さんとの47年間は、正反対の2人だからこそ成立した、稀有な愛の形でした。スピード婚から最期の言葉まで、その軌跡を追ってみます。

 

和田誠はどんな人物だったのか

 

和田誠さんは1936年4月10日、大阪市生まれのイラストレーター・グラフィックデザイナー・映画監督・エッセイストです。多摩美術大学図案科を卒業後、広告制作プロダクション「ライトパブリシティ」に入社し、わずか24歳でたばこ「ハイライト」のパッケージデザインコンペを勝ち抜いたことで業界に名前を知らしめました。

 

プロフィール項目 詳細
生年月日 1936年4月10日
出身地 大阪府大阪市
没年月日 2019年10月7日(83歳)
職業 イラストレーター・グラフィックデザイナー・映画監督・エッセイスト
学歴 多摩美術大学図案科卒業
代表仕事 週刊文春の表紙イラスト・映画「麻雀放浪記」・ハイライトのパッケージデザイン

 

週刊文春の表紙を1977年から亡くなる直前まで手掛け続けたことは特によく知られていて、その絵は和田さんの死後も2025年8月まで再掲載され続けるほど多くの人に愛されてきました。

 

映画監督としても1984年に真田広之さん主演の「麻雀放浪記」を手掛け、その翌年の「快盗ルビイ」ではブルーリボン賞の監督賞を受賞。他分野出身の監督が第一作・第二作連続でキネマ旬報ベストテン入りを果たしたのは和田さんだけという記録も残っています。実力の幅が広すぎますよね。

 

人柄についてはよく「静かで深い人」という言葉が使われます。家庭では一切仕事の話を持ち込まず、平野レミさんの奔放なキャラクターをただ温かく包み込むような存在だったといいます。

 

出会いからわずか10日で結婚を決意した2人

 

2人が出会ったのは1972年、平野レミさんがシャンソン歌手としてTBSラジオに出演していた時期のことです。ラジオ越しにレミさんの声を聞いて惹かれた和田さんは、当時番組に関わっていた久米宏さんに「紹介してほしい」と頼み込みました。

 

ところが久米宏さんは「レミさんだけはやめた方がいいと思いますよ」と一度断ったといいます。それでも和田さんはあきらめず、別のルートでTBSでの初対面を実現させました。レミさんは和田さんの第一印象を「品があって、物知りで、ひけらかさない、静かで頭のいい人」と感じ、自分とはまるで正反対のタイプに心を掴まれたと語っています。

 

そして2人は出会いからたった3回の食事を経ただけで、わずか10日後に結婚を決意。レミさんが「パンツ3枚持って嫁に行っちゃった!」と笑って振り返るほど電撃的な展開で、2人の結婚生活が始まったのです。

 

47年間を支えた夫婦の形

 

正反対に見えた2人ですが、その対極性こそが長い結婚生活の土台になっていたのかもしれません。

 

和田さんは、朝10時まで寝ているレミさんに「はい、お茶ですよ」と静かに差し出したり、レミさんが風邪を引いた時には何も言わずに参鶏湯を作ってドアの前にそっとおいたりするような人でした。レミさんの破天荒な料理を誰よりも楽しみ、「おかあさんの料理の方がおいしいよ」と言い続けた最高のファンでもありました。

 

有名なエピソードとして、レミさんが高級ワインのロマネ・コンティを大工さんへのお土産にうっかり渡してしまったことがあったそうです。その時も和田さんは怒るどころか「大工さんは幸せで、レミも幸せ。俺だけが不幸」と笑って済ませたといいます。47年間で怒った姿を一度も見せなかったというエピソードは、今でも語り継がれています。

 

レミさんが「あまりにも優しい人と結婚しちゃったから、後がつらい」と涙ながらに語る言葉からは、それがどれほど深い愛情だったかが伝わってきますよね。

 

最期の日々と夫を見送ったエピソード

 

2019年10月7日、和田誠さんは肺炎のため83歳で東京都内の病院で亡くなりました。入院する前日、レミさんは和田さんの大好物だったラッキョウと卵焼き、焼いたお肉を食卓に並べたといいます。それがまさか最後の手料理になるとは、その時には思ってもいなかったそうです。

 

葬儀では、棺の中にこれまで作ってきたレシピをたくさん入れたといいます。「向こうに行ってもおいしいものを食べてね」という思いを込めて。これほど料理愛好家らしいお別れの形があるでしょうか。

 

最期が近づいた頃、レミさんが「私と結婚してよかった?」と問いかけると、和田さんは「よかった」と答えました。さらに「私でよかったの?」と重ねると、もう一度「よかった」と返してくれたといいます。この2つの「よかった」を「確かめられてよかった」と語るレミさんの言葉に、47年間の重みが凝縮されているように感じます。

 

平野レミの息子・長男の嫁は上野樹里|結婚の経緯と嫁姑関係

 

平野レミさんの長男・和田唱さんは、ロックバンドTRICERATOPSのボーカル兼ギタリストとして音楽シーンで活躍するミュージシャンです。その和田唱さんと2016年に結婚した女優の上野樹里さんとの馴れ初めや、個性的な姑として知られる平野レミさんとの嫁姑関係は、公表当時から多くの注目を集めました。気になりますよね。

 

上野樹里はどんな女優なのか

 

上野樹里さんは1986年5月25日生まれの女優です。ドラマや映画で幅広い役を演じてきた実力派として知られており、TRICERATOPSの熱心なファンでもあることを以前から公言していました。

 

プロフィール項目 詳細
生年月日 1986年5月25日
職業 女優
結婚相手 和田唱(TRICERATOPSボーカル・ギター)
入籍日 2016年5月26日
年齢差 11歳(和田唱さんが年上)

 

ちなみにこの11歳という年齢差、平野レミさんと夫の和田誠さんの年齢差とまったく同じです。偶然とはいえ、ちょっと不思議な縁を感じますよね。

 

2人が出会ったきっかけと結婚までの道のり

 

上野樹里さんがTRICERATOPSのファンを公言していたことが、2人の縁の始まりといわれています。音楽を入口に交流が生まれ、やがて恋愛へと発展していったようです。2016年5月26日、2人は入籍を発表しました。

 

コメントは「2人にとって、とても自然なことでした。そしてそのことにとても喜びを感じています。お互い支え合いながら一歩一歩、前に進んでいこうと思っております」というもので、じっくりと育まれてきた関係らしい落ち着いた言葉でした。

 

一方、同じ日に平野レミさんがX(旧Twitter)に投稿した内容がまた話題になりました。「おめでタイ!」に続いて、「タイのお刺身並べてハーブソルトをショウショウ、レモン汁をジューリと絞り」と、長男の唱さんと上野樹里さんの名前をそれぞれ食材や動作に組み込んだレシピ形式でお祝いメッセージを送ったのです。

 

この投稿を見て「レミさんらしい」と笑った人も多かったのではないでしょうか。

 

平野レミと上野樹里の嫁姑関係はどうなのか

 

個性あふれる平野レミさんを姑に持つことへの世間の関心は大きかったものの、2人の関係は非常に良好です。

 

平野レミさんは上野樹里さんのことを「裏表がなくて、ストレートで気持ちがいい子。私と似ている」と語っており、2人が並んだ写真には「顔まで似てきた」という声があがるほどの仲良しぶりを見せています。和田家の大切な集まりには上野さんも必ず参加し、レミさんのことを「レミさん」と呼んで親しんでいるといいます。

 

上野樹里さん自身は嫁姑関係についてこう話しています。「主張していかないと、和田家の中では生きていけないですよ。気を使ってたら生きていけない。そのまま素でね」と。ありのままの自分でぶつかっていくスタンスが、むしろレミさんとの距離を縮めたのかもしれません。

 

2人がライブを一緒に観に行ったことを上野さんがインスタグラムで報告したことも話題になりました。嫁と姑というよりも、気が合う仲間同士のような関係性が垣間見えますよね。

 

夫を亡くした平野レミを支えた上野樹里の言葉

 

和田誠さんを亡くした後、平野レミさんが「つかむものがなくて寂しい」とこぼした場面がありました。その時、上野樹里さんがかけた言葉がこれです。「レミさん、唱さんと手を握って!しっかり、ぎゅっと強く握るの。ほら、つかむものがあるでしょう?」と。

 

この言葉を受けてレミさんは、幼い頃にもみじのような小さな手だった息子の手が今はこんなに大きくなって、その手の中に和田誠さんの半分が入っているんだと感じ、「心のつかえがストンと取れた」と語っています。単なるお嫁さんとしての気遣いではなく、家族として本当に寄り添える存在だったからこそ出てきた言葉だといえるかもしれません。

 

和田唱が毎日作る愛夫弁当が話題に

 

上野樹里さんと和田唱さんの夫婦仲を象徴するエピソードとして広く知られているのが、愛夫弁当のエピソードです。2020年7月、上野さんがインスタグラムで「愛夫弁当 昨日から始まりました!」と投稿し、和田唱さんが手作りしたという弁当の写真を公開しました。

 

おいしそうなおにぎりを手に笑顔を見せる動画も投稿され、上野さんは「とても助かっています。おまけに健康管理にもなってありがたいです」と感謝の言葉を添えていました。見ていたファンからは「さすが、レミさんの息子!」というコメントが相次ぎ、料理好きの母の血をちゃんと受け継いでいることへの反響も大きかったようです。

 

また、上野樹里さん自身も料理の腕はかなりのもので、りんごを切る際に8つに割ってから一気に皮をむくなどのスピードには、せっかちで知られる平野レミさんも驚かされたというエピソードも伝わっています。家族の中に馴染みながら、しっかりと自分のペースを保っている上野さんの姿がそこにあるような気がしますよね。

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平野レミの息子・次男の妻は和田明日香|料理研究家になるまでの経緯

 

平野レミさんの次男・和田率さんの妻として知られる和田明日香さんは、今や人気料理研究家・食育インストラクターとして各メディアに引っ張りだこの存在です。でも結婚当初は、料理とはほとんど無縁のお嬢様育ちだったって知っていましたか?そのギャップがまた魅力的で、どんな経緯でここまでたどり着いたのかが気になりますよね。

 

和田明日香さんのプロフィールと出自

 

和田明日香さんは1987年4月17日生まれ、東京都世田谷区出身です。身長169cm、血液型はO型で、料理研究家・食育インストラクターとして活躍する一方、ファッション誌の表紙を飾るモデルとしての顔も持ちます。

 

生まれ育ちはいわゆるお嬢様環境で、小学校から大学まで立教女学院・立教大学と、ずっと立教の一貫教育を受けてきました。立教女学院といえば東京都杉並区にある名門お嬢様校として知られていて、高校時代には生徒会長を務め、ミス立教女学院にも選ばれたというのだから、成績・人望ともに優秀だったことが伝わってきます。その後、立教大学社会学部へ進学しています。

 

お父様はライターの高橋光二さんという方で、取材以外は自宅で文章を書く仕事をされていたそうです。自宅が世田谷の一等地にあったとも伝わっていて、幼少期から文化的で豊かな環境に育ったことがうかがえます。

 

項目 詳細
生年月日 1987年4月17日
出身 東京都世田谷区
身長 169cm
血液型 O型
学歴 立教女学院(小〜高)→立教大学社会学部
職業 料理研究家・食育インストラクター
和田率さん(平野レミさんの次男)
子供 3人(長女コナちゃん・長男威馬くん・次女ニナちゃん)

 

料理とは無縁だった学生時代と和田率さんとの出会い

 

明日香さんが結婚前、料理への興味が薄かったことはよく知られているエピソードです。本人がテレビで語ったところによると、キャベツとレタスの違いは産地の違いだと思っていたり、シジミは大きくなるとアサリになると本気で信じていたりしていたといいます。まさに台所とは無縁のお嬢様育ちだったわけですね。

 

和田率さんとの出会いは、大学在学中にMTV JAPANでインターンとして働いていたときのことです。当時の率さんは日本最大手の広告代理店・電通でCMプランナーとして活躍していた少し年上の男性で、就職活動を通じて2人は知り合いました。本田のオデッセイやコカ・コーラ、日本マクドナルドのビッグマックなど錚々たる企業のCMを手がけていた率さんに、明日香さんが魅了されたのも自然なことだったかもしれません。

 

2010年、まだ大学生だった23歳のときに和田率さんと結婚、同年第一子を出産します。いわゆる学生結婚・授かり婚という形でしたが、そこから明日香さんの人生は大きく動き出します。

 

平野レミさんのもとで変わっていった料理への姿勢

 

結婚後、義母となった平野レミさんは、明日香さんを叱ったり細かく指導したりするタイプではなかったようです。むしろ自分が楽しそうに料理をする姿を見せ続け、食への興味を自然に引き出していったと伝えられています。

 

冷蔵庫にあるもので自由に楽しく作るというレミさんのスタイルは、型にはまらない明日香さんの感性にも合ったのかもしれません。最初はまったく料理ができなかった明日香さんも、義母の背中を見続けるうちに食への関心が急速に高まっていきます。やがて食育インストラクターの資格を自ら取得するまでに成長したのですから、その吸収力はなかなかのものです。

 

ちなみにファンの間では、明日香さんの左腕にタトゥーが入っているという話が知られていて、結婚式の写真や日常のインスタグラムの画像にも確認できるとされています。和田率さんの左腕にもタトゥーがあるとされていて、夫婦でお揃いなのかもという声もあります。

 

立教女学院というお嬢様校出身という経歴との意外なギャップが、明日香さんのキャラクターをより印象的にしているといえるかもしれません。

 

料理家として独立した活動へ

 

食育インストラクターの資格を手にした明日香さんは、その後テレビや雑誌へ精力的に露出するようになります。日本テレビのメレンゲの気持ちやTBSの白熱ライブ ビビットへの出演を重ね、子育て中のママたちに向けた簡単で栄養バランスのいいレシピを次々と紹介していきました。

 

ママ向け雑誌のMartでは表紙も飾り、レシピ本も複数出版しています。ほったらかしレシピというタイトルの著書は手軽なほったらかし調理法が主婦層に好評で、料理の敷居を下げてくれると支持されました。また、2021年には食学親善大使にも就任しています。

 

夫の和田率さんも、娘の小学校入学を機に毎日のお弁当作りを自ら志願し、お弁父として話題になりました。夫婦ともに食への意識が高く、3人の子供たちへの食育も丁寧に実践しているようです。平野レミさんが信じる「キッチンから幸せ発信」という哲学が、次世代の家庭にもしっかり根付いているといえますね。

 

平野レミの嫁2人との関係|「タダで完成した娘が来た」感謝のエピソード

 

平野レミさんの嫁姑観は、世間が想像するものとはまったく異なるものがあります。上野樹里さんと和田明日香さん、2人の義娘との関係はドラマや週刊誌が好みそうな嫁姑バトルとは対極にあって、むしろレミさん側からの一方的な感謝と愛情があふれている印象です。その言葉やエピソードを掘り下げていくと、平野家ならではの家族観が見えてきます。

 

平野レミさんが語る嫁姑観の根っこ

 

レミさんは以前のインタビューで嫁姑関係についてこんなふうに話しています。食費も学費も衣服費もかけずに、タダで完成された娘さんがポッと来てくれたのよ、おまけにかわいくて、息子のお世話をしてくれて、孫まで産んでくれて。私は大得よ。お嫁さんに文句なんかひとつもない、と。

 

この発言を読んで「こんな姑、本当にいるの?」と驚いた人も多いはずです。嫁姑問題でありがちな、生活習慣の違いや価値観のすり合わせに苦労するという話とは完全に対照的なスタンスですよね。

 

レミさんが単に放任しているわけではなく、息子たちの選択を根本から信頼しているからこそ、その選択の結果である義娘も自然に受け入れられるのだと思います。父・平野威馬雄さんから受け継いだ自由で肯定的な精神が、親としてのスタンスにも反映されているのかもしれません。

 

また、レミさん自身が「嫁姑は関心を持たないことが大事」というスタンスを公言していて、それが2人の義娘にとって非常に居心地のいい環境を生み出しているようです。

 

長男の妻・上野樹里さんとの関係

 

2016年に長男の和田唱さんと結婚した女優の上野樹里さんとレミさんの関係は、スタート当初から周囲が拍子抜けするほど良好なものでした。世間は、個性派料理愛好家の平野レミさんと実力派女優の上野樹里さんという組み合わせを固唾を飲んで見守っていたようですが、実際にはレミさんが裏表がなくて、ストレートで気持ちがいい子、私と似ていると絶賛するほどの相性のよさでした。

 

顔まで似てきたと話題になることもあるくらいで、2人が顔を寄せ合って笑う写真が公開されるたびにファンから驚きの声が上がっています。上野さん本人も、和田家での立ち回りについて、主張していかないと和田家の中では生きていけないですよ、気を使ってたら生きていけない、そのまま素でねとインタビューで答えています。

 

和田家のテンションに合わせてありのままの自分をさらけ出せているからこそ、無理なく馴染めているということが伝わってきますね。

 

2019年12月には、上野さんがインスタグラムでレミさんと2人でライブに行ってきたことを報告していました。夫婦や家族での行動だけでなく、義母と義娘の2人での外出が自然な形でできているというのは、関係性の深さを物語っています。

 

夫を亡くしたレミさんを支えた樹里さんのひと言

 

夫の和田誠さんが2019年10月に亡くなったとき、レミさんは深い喪失感の中にいました。そのとき上野樹里さんに「つかむものがなくて寂しい」とこぼしたところ、樹里さんは「レミさん、唱さんと手を握って。しっかり、ぎゅっと強く握るの。ほら、つかむものがあるでしょ?」と促してくれたといいます。

 

レミさんはその言葉をきっかけに、子供のころ息子の小さなもみじのような手と手をつないで歩いていた記憶を思い出したそうです。あの手がこんなに大きくなって、しかもこの手の半分には和田誠さんが入っているんだと感じた瞬間、心のつかえがストンと取れたとレミさんは語っています。義娘からのひと言が義母の深い悲しみに寄り添ったこのエピソードは、血のつながりを超えた家族の絆そのものです。

 

次男の妻・和田明日香さんとの師弟のような絆

 

和田明日香さんとレミさんの関係は、嫁姑というより料理仲間、もしくは師匠と弟子に近い雰囲気があります。2022年のインタビューで、レミさんは結婚当初の明日香さんに対して「なんにもできなかったの。うちの息子が殺されるんじゃないかと思った」と笑いながら振り返っています。その一言の裏には、そこから猛烈に成長してくれた明日香さんへの深い信頼と愛情が感じられますよね。

 

レミさんが明日香さんを「あーちゃん」と呼んで接し続けるうちに、明日香さんの料理への情熱は本物になっていきました。今や「レミさんの味を一番理解しているのは明日香ちゃん」と言われるほどで、レミさんの料理哲学を最も近くで受け取った人物として業界でも知られています。

 

テレビでの共演時にレミさんが暴走しそうになると明日香さんが冷静にツッコむというスタイルは、視聴者にもすっかりお馴染みになっています。レミさんが「明日香ちゃんがいてくれるから、私は自由でいられる」と全幅の信頼を寄せているのも、こういった積み重ねがあるからこそです。

 

徹子の部屋での共演時には、明日香さんがレミさんに「老後の面倒を見ますから」と伝える場面があり、レミさんは「まだそんな年じゃないし、お世話になりたくない」と笑って返したそうですが、本心ではとてもありがたかったと話しています。

 

結婚式に楽曲を贈った和田唱さんが示した家族の一体感

 

和田明日香さんと和田率さんの結婚式では、義兄にあたる和田唱さんが2人のためだけに楽曲を書き下ろしたという話も伝わっています。作詞を和田率さん、作曲を和田唱さんが担当した、君の音 〜Song for Aska〜 という曲で、AskaとはそのままAsuka(明日香)さんのことです。

 

この曲を贈るサプライズには、平野レミさんと和田誠さんも登場する映像も添えられたといいます。和田家全体が明日香さんの加入を喜び、歓迎していたことが伝わる微笑ましいエピソードです。嫁姑の2人だけでなく、家族全体が温かくつながっているというのが和田家の特徴といえるかもしれません。

 

2人の義娘に共通するもの

 

上野樹里さんと和田明日香さんはキャラクターとしてはまったく異なります。樹里さんは女優として独自の世界観を持つ存在感の強い人物で、明日香さんはもともとモデルとして活動していたお嬢様育ちの女性です。でも2人に共通しているのは、裏表がなく素直で自分をさらけ出せるという点です。

 

レミさんはまさにそういう人が好きで、複雑な気遣いや表向きだけの礼儀よりも、ありのままに接してくれる人との関係が心地よいのだと思います。食費も学費もかけずにポッと来てくれたという言葉は笑えますが、その言葉の根っこには、2人の義娘がそれぞれに息子たちの人生を豊かにしてくれているという、親としての純粋な感謝があふれています。

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平野レミの家族エピソード|孫3人と広がる「和田家」の現在

 

平野レミさんの家族は、息子たちの結婚によってどんどん豊かに広がっています。次男・和田率さんと妻の和田明日香さんの間には3人の子供がいて、レミさんにとって孫の存在は日々の暮らしの大きな喜びになっているんですよ。食と料理を軸に繋がってきた和田家の絆が、今や孫の世代にまで受け継がれている、そんな温かい家族の現在をのぞいてみましょう。

 

孫は3人!次男夫婦が育てる賑やかな家庭

 

次男の和田率さんと和田明日香さんの間には、3人の子供がいます。長女のコナちゃん、長男の威馬(いうま)くん、次女のニナちゃんです。長女・コナちゃんが2010年、長男・威馬くんが2012年、次女・ニナちゃんが2014年にそれぞれ生まれており、2歳前後ずつ間隔を空けた3きょうだいが揃う、にぎやかな家庭です。

 

続柄 名前 生年
長女 コナちゃん 2010年
長男 威馬(いうま)くん 2012年
次女 ニナちゃん 2014年

 

平野レミさんは3人の孫に恵まれたことをとても喜んでいて、「孫まで産んでくれて、私は大得よ。お嫁さんに文句なんかひとつもない」と和田明日香さんへの感謝を何度も口にしています。ここ、なんともレミさんらしい言い回しですよね。

 

大切な息子の子供たちが生まれてくれたことを、まるで自分への最高のプレゼントのように受け取っている感覚、それがすごく伝わってきます。しかも「タダで完成された娘さんがポッと来てくれて、かわいくて、息子のお世話もしてくれる」という言葉には、感謝と愛情がぎゅっと凝縮されていますよ。

 

近所に住むレミさんが孫たちの日常にそっと存在する

 

現在、和田率さん・和田明日香さん一家は都内に新築した3階建ての一軒家で5人暮らしをしています。そして平野レミさんは代々木上原エリアに住んでおり、息子一家のすぐ近所です。距離が近いこともあって、レミさんはしばしば孫たちに会いに遊びに行くといいます。

 

嫁姑が徒歩圏内に暮らしながら良好な関係を保っているというのは、なかなか珍しいことかもしれません。でもレミさんと明日香さんの関係は、テレビで共演するほど良好ですから、この距離感がかえってちょうどよく機能しているんでしょうね。孫たちにとっても、おばあちゃんが近くにいる環境は安心感があるはずです。

 

和田率さんが電通を辞めて家族との時間を優先するために独立を決意したのも、3人目の子供の妊娠中のことでした。家族との時間を大切にしたいという気持ちが仕事の選択にまで影響するあたり、和田家という家族の重心をどこに置いているかがよく見えてきます。

 

食育と手作り弁当が受け継ぐレミさんの精神

 

和田明日香さんが料理家・食育インストラクターとして活躍する背景には、義母である平野レミさんとともに料理と向き合い続けた経験があります。今では3人の子供たちに食の大切さを伝える存在として知られていますが、その姿はまさにレミさんのキッチンから幸せ発信というモットーが次の世代にまで渡った形といえるかもしれません。

 

また和田率さん本人も、長女のコナちゃんが小学校に入学したことをきっかけに、自分で毎日のお弁当を作ることを志願したと言われています。インスタグラムに投稿した、いわゆるお弁父としての活動が話題を呼んだのも記憶に新しいですよ。

 

弁当と一緒に添えた食育メッセージが読者の共感を集め、著書の出版にまで繋がっています。夫婦そろって食に真剣に向き合う姿勢は、子供たちにとってそれ自体が最高の食育になっているはずです。

 

長男・和田唱さんと上野樹里さん夫妻の現在

 

一方、長男の和田唱さんと上野樹里さんの間には、現時点で子供はいません。2016年5月に結婚を発表した2人は、お互いの仕事を尊重し合いながら夫婦生活を送っていますよ。上野樹里さんが女優として活躍し、和田唱さんはミュージシャンとして音楽に向き合う、それぞれが異なる分野でキャリアを積み重ねている夫婦です。

 

上野樹里さんのインスタグラムには、和田唱さんとのツーショット写真が多く投稿されており、仲睦まじい様子がうかがえます。2020年には上野樹里さんが和田唱さんお手製の愛夫弁当を公開し、「とても助かっています。おまけに健康管理にもなってありがたいです」とコメントして大きな反響を呼びました。平野レミさんの息子らしいなと感じたファンも多かったようですよ。

 

平野レミさんはかねてから、いつか長男夫婦にも子供が生まれることを楽しみにしているとコメントしていました。現時点では孫の3人は全員次男・率さん一家の子供たちですが、家族の輪がさらに広がることを多くのファンが温かく見守っているんです。

 

孫の名前に込められた家族のルーツ

 

孫たちの名前をもう少しよく見てみると、それぞれに個性があることに気づきます。長女のコナちゃん、長男の威馬くん、次女のニナちゃんという3つの名前です。特に注目されるのが長男・威馬くんの名前です。

 

威馬という名前は、平野レミさんの父・平野威馬雄さんの名前から一字取っているのではないかとも言われています。詩人・フランス文学者として平野レミさんの人生に大きな影響を与えた祖父の名が、孫の名前として受け継がれているとすれば、世代を超えた家族の絆の深さを感じますよね。料理・芸術・音楽だけでなく、名前という形でも家族のルーツが繋がれているのかもしれません。

 

平野レミの息子・家族が語る母の素顔|子育て方針と家庭の雰囲気

 

テレビで見せるあのパワフルでユーモラスな姿が平野レミさんの全てではなく、家庭の中では息子たちとどんなやり取りをしていたのか、気になりますよね。息子たちの幼少期のエピソードや家族が残した言葉をたどっていくと、テレビの印象とはひと味違う、リアルな母の素顔が見えてきます。子育て方針から家庭の空気感まで、和田家の内側をのぞいてみましょう。

 

実はもともと教育熱心だった時期がある

 

意外に思えるかもしれませんが、平野レミさんは長男・和田唱さんが子供の頃、かなり教育に熱心な面があったと言われています。唱さんが玉川学園中学部に在学していたとき、レミさんは学長から呼び出され「和田君はうちの学校に向いていない」と告げられたというエピソードが残っています。

 

そのときに夫・和田誠さんがかけた言葉が、レミさんの子育てに大きな転換をもたらしました。「君だって自由にやってきたじゃないか」という一言です。自分自身が高校を中退し、好きなことを追いかけながら料理愛好家になったレミさんは、その言葉でハッとしたのでしょう。

 

自分が受けてきた自由な育て方と、子供に求めていたもののギャップに気づいた瞬間だったのかもしれません。夫が静かに一言添えるだけで妻の見方が変わる、そういう夫婦の関係性もここには垣間見えます。

 

自由にのびのびと、それが和田家の子育ての軸

 

方針転換以降の平野レミさんの子育てスタイルは、子供を自由にのびのびさせることを軸にしたものになっていきます。これはレミさん自身が父・平野威馬雄さんから受けた育て方とも重なっています。

 

詩人だった父は「ああしちゃダメ、こうしちゃダメ」とは一切言わず、高校を辞めたいとレミさんが打ち明けたときも「いいよ、やめろやめろ。好きなことを徹底してやれ」と背中を押してくれたと言われています。そういう親のもとで育ったレミさんが、同じように息子たちの個性を尊重する方向へ向かったのは、ある意味で自然な流れだったのかもしれません。

 

放任とは違います。子供をよく観察し、それぞれの性格に合った関わり方を見つけようとしていた様子が、細かいエピソードから伝わってきますよ。

 

長男は泣き虫、次男は几帳面。対照的な2人の幼少期

 

ここ、知っているとちょっとほっこりするエピソードなんですよ。長男・和田唱さんと次男・和田率さんは、子供の頃からまったく異なるタイプだったといいます。

 

長男・唱さんは感受性が豊かで、繊細な面があったようです。遠足の日に水筒が見つからなくて「僕の水筒がないよう、見つからないよう」と泣いてしまうタイプで、平野レミさんも当時のことを笑いながら話しています。その繊細さは、後にロックバンドのボーカルとして感情を乗せた歌を歌うミュージシャンになったときに花開いたとも言えるかもしれません。

 

対して次男・率さんは、子供とは思えないほどしっかり者でした。遠足の1週間も前から水筒に麦茶を入れて準備を始め、「中身が腐るからやめなさい」と言われてもお構いなし。学校ではプリントを自分から2枚もらっていたといいます。

 

「お母さんが忘れちゃうから」という理由で、だというからすごいですよね。前夜にはこっそりレミさんの部屋に入り込んで目覚ましが正しくセットされているかを確認するほどの徹底ぶりで、さらには友達のお母さんとも自分で仲良くなって持ち物を確認してもらうという段取りの良さまで見せていました。

 

2人の個性の違いを、レミさんは笑い話として語りながらも愛情深く受け入れていたことが伝わってきます。

 

母性愛が突然あふれ出た瞬間のこと

 

少し意外に聞こえるかもしれませんが、平野レミさんは長男・唱さんを産んだ直後、すぐには母性愛が湧いてこなかったと正直に語っています。出産後、父親から「母性愛が出てきたか?」と電話がかかってきたときも、まだ実感がなかったそうです。

 

転機になったのは、レミさんがひどい風邪をひいて高熱を出したとき。熱が下がって体が楽になったとき、ニコニコと笑っている赤ちゃんの顔を見た瞬間、「かわいい!」という感情が突然あふれ出てきたといいます。

 

その瞬間、母性愛がドバーっと出てきた、というのがレミさん自身の言葉です。理屈ではなく、体で感じた瞬間に親の感覚が開いたというリアルな体験を包み隠さず話してくれるところが、平野レミさんならではの飾らなさだなと思います。あなたも、こういう正直な話を聞くとなんだかホッとしませんか。

 

夫・和田誠さんが作っていた家庭の空気感

 

和田家の家庭の雰囲気を語る上で、夫・和田誠さんの存在は欠かせません。イラストレーターや映画監督として知られる和田誠さんは、家庭内では一切仕事の話をしなかったと言われています。

 

代わりに、レミさんが朝ゆっくり寝ていると「はい、お茶ですよ」と静かに差し出してくれたり、レミさんが風邪をひいたときは黙って参鶏湯を作ってドアの前に置いてくれたりと、言葉より行動で家族を包み込む人だったといいます。

 

そういう穏やかで温かい父親がそばにいたことで、息子たちは比較的のびやかな環境で育ったのでしょう。和田誠さんはレミさんの破天荒な料理を誰よりも楽しみ、「おかあさんの料理の方が美味しいよ」と常に最高の賛辞を贈る、最高のファンであり続けた人でもありました。

 

そんな父親の姿は、長男・唱さんが妻・上野樹里さんのお弁当を作り「健康管理にもなっていて助かっている」と言われるような夫になったことにも、少なからず影響しているのかもしれません。

 

嫁に対しても「関心を持たない」という一貫したスタンス

 

子育ての方針と地続きなのが、嫁との向き合い方です。平野レミさんはかつて、嫁姑の関係について「関心を持たない」というスタンスを語ったことがあります。過度に干渉せず、嫁の領域に踏み込まないということです。

 

これはレミさん自身が父から受けた自由な育て方と、根っこが同じに思えます。押しつけず、口を出しすぎず、相手の自主性を信じる。そのスタンスがあったからこそ、長男の妻・上野樹里さんも「気を使ってたら生きていけない、そのまま素でね」と笑いながら語れる関係になり、次男の妻・和田明日香さんも「何でも言い合える」と話せる仲になったのでしょう。

 

自分が受け取った子育ての精神を、子供へ、そして子供のパートナーへと自然な形で手渡しているところに、和田家の家庭の雰囲気の根っこがあるのかもしれませんね。

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平野レミの息子2人の素顔|和田唱・和田率から見えた家族の全貌まとめ

今回は、平野レミさんの息子、和田唱さん・和田率さんのことや、嫁の上野樹里さんと和田明日香さんについて解説しました。平野レミさんに関するまとめは以下になります。

 

  • 平野レミの息子は長男・和田唱(50歳・TRICERATOPS)と次男・和田率(46歳・remyブランド代表)の2人
  • 長男・和田唱はTRICERATOPSを1996年に結成し1997年メジャーデビュー、作詞作曲をほぼ全て手がけた
  • TRICERATOPSは2025年1月に無期限活動休止を発表し、LINE CUBE SHIBUYAでラストライブを開催した
  • 長男・和田唱は「有名人の息子」であることを数十年間封印し、自身の音楽力だけで評価されることを貫いた
  • 次男・和田率は慶應義塾大学卒業後に電通でCMプランナーとして活躍し、2013年に独立した
  • 次男・和田率はキッチン用品ブランドremyを立ち上げ、母・平野レミ監修のレミパンプラスをヒットさせた
  • 平野レミ自身はシャンソン歌手としてキャリアをスタートし、夫・和田誠の知人の勧めで料理の仕事が始まった
  • 長男・和田唱の妻は女優・上野樹里で、2016年に入籍、11歳差は平野レミと和田誠の年齢差と同じ
  • 次男・和田率の妻は料理研究家・和田明日香で、結婚当初は料理がまったくできなかったが今はプロとして活躍している
  • 平野レミは義娘2人を「タダで完成した娘がポッと来た」と表現し、干渉しないスタンスで良好な関係を築いている
  • 次男夫婦には長女コナ・長男威馬・次女ニナの孫3人がいて、平野レミの近所に暮らしている
  • 平野レミの家系はスコットランド系アメリカ人の祖父・ヘンリー・パイク・ブイにまで遡る国際的なルーツを持つ
  • 父・平野威馬雄から受け継いだ「好きなことを自由にやり抜く」精神が子育て方針と嫁との関係の根底にある
  • 夫・和田誠は2019年10月に83歳で死去し、47年間怒った姿を見せなかったと伝えられる温かな人物だった
  • 2026年2月に長男・和田唱との徹子の部屋への親子初共演がようやく実現し、大きな話題となった

 

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