逸見政孝の娘の名前は逸見愛で現在結婚してる?息子はアナウンサー?

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今回はフジテレビの人気男性アナウンサーだった逸見政孝さんについて調べていきます。男性アナウンサーであり、バラエティ番組でもタレントさんたちに絶大な信頼を得ていたアナウンサーのひとりでした。

 

 

フジテレビからフリーに転身後も様々な番組に引っ張りだこで大人気だった逸見政孝さんですが、1993年12月25日、48歳という若さでこの世を去ってしまいました。そんな逸見政孝さんの今ではなかなか語られることのない私生活について調べて行きたいと思います。

 

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逸見政孝の娘の名前や結婚など情報まとめ

 

逸見政孝さんは、1986年にエッセイストの晴恵さんと出会い、約2年間の交際期間を経て結婚しました。そして、お子さんが2人いらっしゃいます。

 

ここからは娘さんの名前などは判明しているのか、すでにご結婚されているのかなどをみていきたいと思います!

 

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娘の名前は逸見愛。顔画像や写真あり

 

逸見政孝さんの長女のお名前は、逸見愛(いつみ あい)さんと言います。逸見愛さんは、1990年にイギリスへ留学し、帰国後は女優としてドラマや舞台を中心に活動されていました。タレントと活動をしていた経歴もあります。気になる顔画像がこちらです

 

 

日本テレビでは、松井秀喜選手の密着キャスターを務めていたこともありました。他には、”鉄腕DASH”や”天才志村動物園”などにも出演されていました。

 

逸見愛の今現在の年齢は何歳?

 

テレビで活躍されていた逸見愛さんですが現在はどうしているのでしょうか?2025年現在で年齢は50歳になります。

 

調べてみたところ、逸見愛さんは、2012年に芸能活動を自粛されて以降、公の場には姿を見せておらず、現在の活動状況や生活についての詳細な情報は公表されていませんでした。

 

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娘は現在結婚している?独身か

 

参考画像元:Asageiplus

 

逸見愛さんは結婚されているのかどうかというと、調べてみたところ独身という情報が有力でした。とういうもの、逸見愛さんは2012年から芸能活動を自粛されてから公の場に出ていないため結婚をしたといった話は現在のところは公表されていませんでした。

 

しかし、芸能活動を自粛する前のインタビューでこうコメントをしています。「いつでも結婚はして良いと思っている。しかし。それ以上に”結婚したい”とおもえる男性に出会ったことがないので結婚について現実味が沸かないのが本音ですね。」

 

逸見愛さんは、偏差値が世界ランキングにも入るエマーソン大学を卒業されていてイギリス語が堪能だそうです。タレントやレポーターもしていてとても学力が高く賢い女性だそうです。ハイスペックすぎてどうしても男性を見る目が厳しくなってしまってるのかもしれません。

 

逸見愛に病気の噂。2012年に芸能活動自粛が噂の原因か

 

逸見愛さんには、大病を患ったという噂があるようです。調べてみましたが、病気をしたといった情報は見つけることができませんでした。なぜそんな噂が出たのでしょう。考えられる理由は2つありました。

 

1つ目の理由は、父親の逸見政孝さんが病気で亡くなったことが考えられます。逸見政孝さんは48歳という若さでスキルス胃癌のため亡くなってしまったのです。当時、芸能界で病気を患ったことを公表することは異例だったため、”逸見”という名前に印象づいてしまったのかもしれません。

 

2つ目の理由は、2012年に逸見愛さんが芸能活動を自粛したことです。自粛理由も公には公表されていないので、療養のためかと自然と考えられたのかもしれません。と、憶測を立ててみましたが、2012年以降活動を自粛されてるのはプライベートを重視されてのことかもしれませんね。

 

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息子はアナウンサー?その他情報まとめ

 

 

では次に、逸見政孝さんの長男である逸見太郎(いつみ たろう)さんについて詳しくお話しをしていきたいと思います。逸見太郎さんは、1972年12月24日生まれで、2025年現在53歳です。

 

見太郎さん、2世タレントとして1998年には北野武監督の映画「HANABI」で俳優デビューを果たし、その後もテレビドラマや舞台などで俳優として活躍し得意なスポーツ番組などにも多数出演されました。

 

息子はアナウンサーではなくタレント

 

画像参考元:Asageiplus

 

逸見政孝さんの長男である、逸見太郎さんは”2世タレント”として知られ、俳優、タレント、司会者として幅広く活躍してします。幅広く活躍をしているため、職業柄の肩書はアナウンサー?タレント?俳優?司会者?一体どれにあたるのでしょうか。

 

逸見太郎さんのプロフィールなどを調べてみると、肩書としては”俳優””タレント”と書いてあるのもが多かったです。”司会者”とあるプロフィールもありましたが、”アナウンサー”と書いてあるものはありませんでした。

 

アナウンサーと誤解されることもあるようですが、それは父親の逸見政孝さんが生前にフジテレビのアナウンサーを務めたりフリーアナウンサーだったりとしたからだと思われます。逸見太郎さんは父親の逸見政孝さんが有名だったので、子供のからその影響があったそうです。

 

中学時代の時は、いじめられたり、ボコボコにされたりしたことがあったそうです。高校時代は、都内の高校に進学したものの「逸見政孝の息子」だということで校門前で待ち構えられることがあったそうです。

 

もちろん、校内でもひっきりなしに他のクラスの子や上級生たちからひっきりなしに声をかけられることもあったとか。学生の時は常に”逸見の息子”であることが付きまとう環境のことがとても辛かったと逸見太郎さんは過去のインタビューで語っています。

 

それから、”逸見太郎”という自分自身で過ごせる環境を求めて、高校を辞めて15歳でイギリス留学をすることにしたそうです。そんな、思春期のきつい時期が自然と父親を超えたいという思いになって、俳優やタレント、司会者として幅広く活動するエネルギーになっていたのかもしれません。

 

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息子の逸見太郎は結婚して息子がいる

 

そんな逸見太郎さんですが、現在結婚をされてご家庭があるのでしょうか?調べてみると、逸見太郎さんは2013年1月に一般女性と結婚をしており、お子さんを1人授かっています。

 

 
 
 
 
 
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逸見太郎(@taro_itsumi)がシェアした投稿

 

お子さんは、男の子で2019年4月29日に生まれており、2025年現在は6歳になります。お子さんの様子は、自身Instagramで度々公開しています。

 

逸見太郎は父親の13億円の家を売却したのか

 

 

逸見政孝さんは当時、1992年10月に約12億円を投じて、世田谷区奥沢に英国風の3階建て・7LDKの豪邸を建設しました。

 

この邸宅は、広さ約140坪で、リビング・ダイニング・ミーティングルームが一体となった広いスペースや、ガーデンパーティーができる庭、オーディオルーム、書斎など、家族や友人との交流を重視した設計が特徴といいます。

 

しかし、完成からわずか3か月後の1993年1月にスキルス性胃がんが発覚し、逸見政孝さんは同年12月25日に48歳で亡くなられました。逸見政孝さんの新居での生活は1年にも満たない短いとても期間だったのです。

 

しかし、逸見政孝さんが亡くなった後、家族には約5億円の住宅ローンが残りました。妻の晴恵さんは、夫の形見であるこの家を手放すことを拒み、エッセイの執筆や全国各地での講演活動を通じて返済に努めました。

 

彼女は年間100本以上の講演をこなし、約17年をかけて借金をほぼ完済しました。 しかし、晴恵さん自身も夫の死後に子宮がんや骨髄異形成症候群を患い、2010年に61歳で亡くなっています。そんな大豪邸ですが、長男の逸見太郎さんは売却しなかったのでしょうか?

 

逸見太郎さんは一時期仕事が全く無い期間があったそうです。そんな時期があったら、豪邸を売却することを考えそうですよね。しかし、逸見太郎さんは、豪邸の売却はしませんでした。その理由を、逸見太郎さんはこう語っています。

 

「母は”とにかく残したい”という思いが強かったようです。それを直接面と言われたわけではないんですけど、妹はそういう話をしていたようです。現在は妹が母の思いを継いでいるところがありますね」

 

亡き、母親の気持ちとそれを受け継いだ長女の逸見愛さんの思いを汲んで売却することはなかったそうです。けれど、逸見太郎さん本人は維持費がかかることもありそこまで豪邸を残したいという気持ちは強くないとも語っています。

 

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逸見太郎は現在仕事が激減?

 

参考画像元:Asageiplus

 

先ほども少し触れましたが、逸見太郎さんは仕事が激減した時期があったといいます。逸見太郎さんは15歳でイギリス、アメリカに留学をして1998年に帰国をしています。それから、北野武監督の映画「HANABI」で俳優デビューをしています。

 

2009年の1月からりTOKYO MXの夕方帯番組『5時に夢中!』の司会に抜擢されたり、2011年には『5時に夢中!サタデー』の司会を、また同年5月1日より、『これからはパ・リーグだ!』の司会を務めていたため、月曜日から日曜日まで全ての曜日でTOKYO MXの生放送の司会を務めることとなり、全く休みのない状態が続いていました。

 

しかし、2013年に『5時に夢中!』および姉妹番組である同番組の司会を卒業をします。それからは地方番組の司会を務めていましたが、2019年にレギュラー番組がなくなり収入が激変し月収2万8千円になったこともあったそうです。

 

それから、自由が丘にある体操教室のサポートスタッフとして勤務をし現在では幼児体操教室「アクティブキッズPE」を運営したり、英会話が得意であることを活かし、東京アメリカンクラブで幼児体操の主指導を行っているそうです。

 

逸見太郎の妻はどんな人?

 

逸見太郎さんは、2013年1月23日に結婚をされています。お相手は逸見太郎さんと同年代の一般女性の方だといいます。奥さんは一般女性ということもあり名前や年齢、経歴などの詳細は公表されていません。

 

しかし、奥さんは逸見太郎さんの月給が2万8千円だった時期でも離れず支え続けた姿から精神的に安定をした、家族思いな女性であることが伺えます。お互いとても信頼しあっている関係であるようです。

 

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逸見政孝の誤診とは

 

 

”逸見政孝”と検索欄に打ち込むと”逸見政孝 誤診”と候補ワードが出てきます。逸見政孝さんは、1993年の12月25日にスキルス性胃癌が原因で48歳という若さで亡くなっており、胃癌の発見の際、その医師からは”初期のものできれば治る”との診断を受けているのです。

 

しかしその後、手術受けたら医師から「がんは初期のものじゃなかった」と告げられたのです。その手術の跡がしこりとなり再度施術を受けましたが、執刀医から「これ以上は私の力ではどうにもできません」とまで言われたのです。

 

これでは、誤診と思われるかもしれません。けれど、長男の逸見太郎さんがインタビューで当時の状況をこう語っています。

 

父は律儀な性格で「ここで診てもらって、ここで胃がんがわかったんだから、ここで治療してもらうのが筋だろ」という考え方の人なので、病院を変えようとはしなかったんです。

 でもその病院は、実は痔が専門なんです。今でこそ当たり前になってきましたけど、セカンドオピニオンという考え方はお世話になっている先生に失礼で、そういった選択肢を思いつきも、考えもしなかったんじゃないかなと思います。

参考文献:Asageiplus

 

今では、セカンドオピニオンという考え方は当たり前ですが、当時は”医者の言うことは絶対”といった考え方や他の病院にかかることはお世話になってる病院の先生に失礼という考え方が当たり前だったのです。

 

そして、当時芸能人が、ガンを公表することは不安を煽るとしてタブーとされていたところを、逸見政孝さんは記者会見で堂々と公表し、がんの告白する文化に先駆けを作ったと言われています。

 

逸見政孝さんのこの記者会見で世間は”病を隠さない””医師任せにしない””セカンドオピニオンの重要性”といった意識改革を日本にもたらしたといえます。

 

逸見政孝の妻・逸見晴恵が死去した死因とは

 

 

逸見政孝さんの妻は逸見晴恵(いつみ はるえ)さんです。政孝さんとの結婚後は、政孝さんが立ち上げた所属事務所”オフィスいっつみぃ」の社長として家族を支える存在だったといいます。

 

政孝さんが亡くなった後は、残った豪邸の5億円のローンを講演活動やエッセイ執筆を行い返済をされたたくましい女性です。

 

しかし、政孝さんが亡くなった半年後の人間ドックで子宮頸がんが発覚しました。それだけでなく治療の過程で医師に血液のがんである骨髄異形成症候群を告げらたそうなのです。

 

相当ショックを受けた晴恵さんですが、まだ豪邸のローンも残っていたのもあってか、執筆活動や講演活動は続けていたそうです。骨髄異形成症候群との闘病は10数年にも及びましたが、2010年10月21日に細胞蛋白症により家族と親しい人に見守られて静かに旅立ったといいます。最終的な死因は細胞蛋白症ということになりますね。

 

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ダウンタウンとの関係は

 

さて、アナウンサーという立場でありながらフリー転身後様々な番組に出演し、それまでの男性アナウンサーという堅いイメージを覆してきた逸見政孝さん。

 

1990年に放送されていた「世界の常識・非常識」というクイズ番組で司会を努めた逸見政孝さんは回答者という立場で共演を果たしたダウンタウンの2人とお互いに関西出身ということもあり意気投合し東京進出してきたばかりのダウンタウンを当時はよく気にかけていたそうです。

 

そのため逸見政孝さんの訃報を聞いた際にダウンタウンの2人は「逸見さんには本当に良くしていただいた」と涙ながらに語っていました。

 

 

奇しくも逸見政孝さん、ダウンタウンの2人が共演を果たしたその番組の後番組が後に伝説のお笑い番組と称された「ダウンタウンのごっつええ感じ」だったのです。

 

ビートたけしとの関係は

 

逸見政孝さんは芸人界のレジェンドであり映画監督のビートたけしさんとも交流がありました。

 

じつは現在でも特別番組として放送されるビートたけしさんが司会を務める「平成教育委員会」はもともと1991年にスタートした際には「たけし・逸見の平成教育委員会」という名で放送されていました。

 

総合司会者として番組を進行しその信頼関係は視聴者として見ていても分かるほどでした。逸見政孝さんが亡くなってからは特番でも番組の再開はないかと思われましたが、ビートたけしさんがあとを引き継ぐ形で現在でも出演し続けておられます。

 

娘・息子情報まとめ

 

ということで、ここまで娘さんと息子さんについてみてきましたが改めて情報をまとめます。逸見政孝さんの子どもである逸見愛さんと逸見太郎さんは、それぞれ異なる道を歩みながら、父の影響を強く受けて生きてきました。

 

逸見愛さんは逸見政孝さんの長女で、ドラマや舞台を中心に活動していました。しかし、2012年に芸能活動を自粛し、以降は公の場に姿を見せていません。

 

逸見太郎さんは父と同じ道を志し、アナウンサーからタレントへと進みました。父の背中を追いながら、常に「逸見政孝の息子」としての重圧を背負ってきました。

 

政孝さんが建てた世田谷の豪邸を「家族の象徴」として守り続けているのも、父への尊敬と「家族の絆を壊したくない」という強い思いの表れです。

 

生活が苦しくなっても、家を売らずに残した判断には、父の意思を継ごうとする覚悟が感じられます。2人は、父の死を「ただの別れ」にせず、それぞれの生き方で“語り継ぎ”、守り続けています。

 

政孝さんの人生が、日本の家族観やがんとの向き合い方を変えたように、子どもたちもまた、その影響を社会に届けています。

 

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