俳優としてもコメディアンとしても活躍されていた財津一郎さん。1934年2月22日生まれで、熊本県出身でこれまで幅広く活躍されてきた俳優のひとりです。
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中でも『ピアノ売ってちょうだ~い♪』で話題となった”タケモトピアノ”のCMが印象に強いのではないでしょうか。泣いている赤ちゃんが大人しくなると話題にもなりました。最近はテレビで見る機会も減りましたがお元気なのでしょうか?
そこで今回は、財津一郎さんの息子や現在の様子、お孫さんについても詳しくご紹介していきたいと思います。
財津一郎の息子の名前や画像は?
財津一郎さんは本名の財津永栄(ざいつ ながひで)で活動しておられましたが、1962年に吉本興業に入り1964年には吉本新喜劇に参加されました。そこで現在の財津一郎に芸名を変更することとなったのです。
名付け親となったのは当時の吉本興業の林弘高さんで「吉本では大衆的な名前でいかなあかん。本名は堅苦しい。一郎と言えば、河野一郎、有島一郎、みんな大物や。」という理由だそうですよ。1965年には吉本新喜劇座長に就任し、盛り上げました。
財津一郎さんは俳優のイメージが強いので、吉本に所属されていたのに驚きました!そんな吉本新喜劇での失敗談があります。吉本新喜劇に出演した際、アドリブで「仁丹」のネタを披露したのですが、当時の新喜劇のテレビ中継のスポンサーだった大正製薬を怒らせてしまう事態に発展!なぜ大正製薬が怒るかというと、この「仁丹」というのが他社の製品だったからみたいですね。確かに自社製品を広告しているためにスポンサーになったのに、そこで他社の製品をPRされたらたまったもんじゃないですよね
幸い財津さんは降板せずに済みましたが、この一件が元となってこれまで生放送されていた新喜劇は録画で放送されることとなりました。生放送だからこそのトラブルですが、スポンサー側からすると怒るのもわかりますね(笑)
そんなちょっとおちゃめな財津一郎さんは1995年に奥様と知り合い、その後結婚して1961年に息子さんが誕生しています。奥様と知り合った経緯や馴れ初めについては不明ですが、一般女性とのことです。また、息子さんのお名前は財津巧さんで、気になる画像はこちらです。
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財津巧さんの生年月日は1961年8月22日で、この財津巧さんがかなり有名な方なんです。なんと、日本テレビのプロデューサーをされているとの情報があるので詳しく見ていきましょう。
財津一郎の息子は日テレのプロデューサー?
財津一郎さんの息子である財津巧さんは日本テレビに勤務していて、総合演出家として活躍されているそうです。
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財津巧さんは80年代後半から90年代に放送された『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』など数々のバラエティ番組を手掛けてこられました。さらに、90年代には『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』や『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』の総合演出を務めるなど、かなりの敏腕プロデューサーとして知られています。
また、『スッキリ』でおなじみの天の声の生みの親でもあり南海キャンディーズの山里亮太さんと年に一度会う仲なんだとか。父である財津一郎さんと同じ、テレビ業界で働くなんてすごいですよね。
財津巧さんはテレビマン人生の最大の失敗として、AD時代のことを語っておられます。AD時代に巧さんは空き時間を利用して映画を観ようとしていたそうです。その映画は『クレイジー・キャッツの映画6本立て』で、1本だけ見て仕事に戻る予定だったそうです。
なのに、あまりにも面白くて時間を忘れて映画を観てしまったそうで、6本全部見てしまったんだとか!急いで仕事に戻ったときには先輩たちに大目玉を食らったという体験をしたようです。仕事を忘れるほど夢中になれる映画って素晴らしいですね。
また、この映画は面白いだけでなく”苦しいときこそ笑え”というメッセージが込められており、この言葉に何度も救われてきた思い出の映画だと語っておられます。その言葉があったからこそ、現在も敏腕プロデューサーとして活躍されているのかもしれませんね。
財津一郎は現在も生きている?
財津一郎さんはおなじみの”タケモトピアノ”以外で見かけることがなく、事実上現在は引退されている状態です。というのも、財津さんは1995年に脳出血で倒れて緊急手術を受けられました。
脳出血は重い後遺症が残る可能性が非常に高い病気なのですが、財津さんは幸いにも身体的な後遺症がほとんどなく術後3か月ほどで仕事に復帰されています。とはいってもまったくの無症状というわけではなく、頭がピリピリするといった症状や感覚的な後遺症があるようです。
また、再発率が高い病気でもあり非常に厄介なのですが財津さんの場合は術後10年経っても再発はしておらず元気に俳優活動を続けてこられました。そんな財津さんは2010年に出演された映画『ふたたびswing me again』を最後に俳優活動をしておられません。とくに引退宣言のようなものもなく、あくまでも事実上の引退状態ということなのですが、この映画に出演されたとき財津さんは76歳でした。
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2004年に出演したNHKの朝の連続テレビ小説『天花』以来7年ぶりの出演となりました。ただ、テレビで見かけないだけで志母澤事務所にも籍ある状態になっています。そのため、芸能界引退というよりも芸能活動休止状態と言った方がいいのかもしれませんね。
財津一郎の孫が話題?
財津一郎さんの孫で、財津巧さんの息子が現在話題となっているようなんです。
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お名前は財津優太郎さんで、1999年7月5日生まれです。身長は183センチで2019年5月には『劇団番長ボーイズ☆』にて候補生として加入されました。また舞台にも初出演されていて、2020年9月15日に放送された『踊る!さんま御殿』でテレビ初出場を果たされました。
財津優太郎さんはまだまだ若手なので、芸能活動もこれからといったところです。財津一郎さんはそんな孫の優太郎さんに対して『現在の唯一の楽しみは大学3年生の孫・優太郎の成長を見守ること』と雑誌のインタビューで答えておられます。孫の成長は可愛くて嬉しいものですよね。3代に渡ってテレビ関係の仕事に就かれるなんてすごいですよね!財津一郎さんが孫の優太郎さんにアドバイスされたりもするのでしょうか。微笑ましいですね。
優太郎さんは2020年で大学3年生で2022年に卒業予定のようです。調べてみましたが、財津優太郎さんが通っている大学の名前は出てきませんでした。ですが、かなり偏差値の高い学校というのは間違いないようで、早稲田や一橋大学なのでは?との情報もありました。
芸能活動ではテレビ出演はまだ少ないですが、Bambooの『月光』のMVやCMにも出演されていて少しずつ露出が増えているという印象です。そして、何よりイケメンだと言われていて、今後ますますテレビや舞台で活躍される機会が増えていくと思われます。財津一郎さんもお孫さんの活躍をさぞ喜んでおられるのではないでしょうか。
ちなみに、長年タケモトピアノのCMを務めてこられた財津さんですが、CM中の歌声を聴くと泣き止む赤ちゃんが続出して話題になりました。泣き止む理由としては、財津さんの声が幼児が好む440ヘルツ周辺の音であるからだそうですよ!このCMは作り変えられることなく20年以上放送されています。
財津一郎さんが今後テレビに出演される日がくるかはわかりませんが、息子である財津巧さん、そして芸能界入りを果たして間もない財津優太郎さんがますますご活躍されることを願っています!
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