水谷隼の子供(娘)は何人?ネックレスと卓球?子供時代が可愛い?

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東京オリンピックで金メダルを獲得し卓球界の歴史を変えた水谷隼さん。水谷隼さんの子供(娘)は何人いるのか調べました。また、試合で身に着けていたネックレスと卓球が話題になりましたよね?ネックレスの正体は何だったのでしょう?

 

水谷隼さんは子供時代から卓球の英才教育を受けていたようです。そんな水谷隼さんの自慢の嫁の旧姓や出身地にも目を向けてみました。水谷隼さんのプライベートと卓球についてフォーカスしました!

 

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水谷隼の子供(娘)は何人?

 

 

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オリンピックで大活躍した卓球の水谷隼さん。そんな水谷隼さんは溺愛している子供がいます。何でもパパとしても金メダル級なのだとか。どんな子供なのでしょう?水谷隼さんの子供は一人で娘さんがいます。2014年に誕生した娘さんは現在7歳になっています。名前を「茉莉花(まりか)」ちゃんと言います。

 

今回のオリンピックも奥さん娘さんの応援が支えになったことでしょう。実際、水谷隼さんは「妻と娘がいなかったら今頃はただのダメ男だったかも」と発言しています。水谷隼さんは2016年10月に「イクメン オブ ザ イヤー」に選ばれた過去があります。普段からいいパパをしていることが広まっていた証拠です。

 

実際、水谷隼さんはTwitterでは頻繁に子供の茉莉花ちゃんの写真を投稿しています。特に女の子ですから可愛いお洋服を着せていたり、可愛い表情の茉莉花ちゃんをUP。水谷隼さん自身も海外生活が多いので、帰国した時は積極的に育児に参加し嫁をいたわっているようです。そんな人柄はブラウン管からも伝わってきますよね。

 

水谷隼さんのご両親も息子がこんなに子煩悩だと思わなかったと言っています。それだけ、水谷隼さんの人生は結婚して妻を持ったこと、子供を持ったことで変わったというところですかね。

 

トップアスリートとしてオリンピックでは金メダルをとるほどの強さを持った水谷隼さんがいられるのは、水谷隼さん自身もいうように家族のお陰であるようです。ですが、もちろんご自身の努力も相当なものだったと思います。

 

水谷隼の子供(娘)とネックレス?

 

水谷隼さんが試合でつけていたネックレスは、レインボーから―のカラフルなネックレスでした。ビーズで作られた割と簡単に作れそうなネックレスでしたので、もしかしたら娘さんが作って贈ったのでは?と言われていました。

 

 

ですが、そのネックレス実はアスリート向けの磁気ネックレスだったのです!商品名を「CHRIO(クリオ)インパルスビクトリー」と言います。水谷隼さんがしていたことで販売元には問い合わせが殺到。

 

お値段的にも決してお安いものではありませんが、トップアスリートに好まれているそうです。卓球も激しい動きが多いですから、水谷隼さんの試合のマストアイテムになっているのかもしれません。結局、水谷隼さんのネックレスは子供が作ったものではなく、子供は関係ないものだとわかりました。

 

水谷隼の子供(娘)も卓球をしているの?

 

 

茉莉花ちゃん自身は「卓球をやりたい」とラケットを持ったといいます。これは第二の福原愛さんになるのでは?と思わせます。ですが、水谷隼さんは子供の茉莉花ちゃんに本格的に卓球をやることは積極的ではない様子。

 

「プロでやっていけるのは一握り、そんなに甘い世界じゃない。もしやるにしても僕は指導したくない」とコメントしています。現在、茉莉花ちゃんは7歳。どうやら卓球をしているという情報はないようです。

 

親が指導者になると何かと大変だと聞きます。優しい水谷隼さんは子供に卓球を教えるにしても完全に鬼になれないのだと思います。確かに水谷隼さんが言うように、指導するなら自分ではなく妻だったり他の指導者に任せたほうがよっぽど楽ですよね。

 

水谷隼の子供時代が可愛い?

 

オリンピック選手となるには子供時代から卓球をしてきたことと思います。その練習量もハンパじゃありません。子供時代から将来へのプロセスを歩み始めるのです。こちらは同じく子供時代から鍛錬を積み重ねられた丹羽選手との写真です

 

 

水谷隼さんはお父さんが卓球スポーツ少年団の代表であることから、その1期生として5歳から卓球を始めました。この時、右利きだった手を左手に変えたそうです。それは将来のために矯正しました。水谷隼さんは子供の頃から頭角を現し、小学校1年生で全日本田久選手権バンビの部に初出場で準優勝。翌年には見事優勝しています。卓球の才能とセンスがあったことが伺えます。

 

中学生になる時に青森山田中学校に進学。青森山田はアスリートを育てる環境が整っている学校です。この時から水谷隼さんは卓球に本腰を入れて取り組んだのです中学から寮生活を送るのはさぞかし勇気のいったことだと思います。それでも、トップアスリートを目指すには生ぬるい環境では強くなれない証です。

 

高校もそのまま青森山田孝行へ進学。そして、15歳10ヶ月で世界卓球選手権の日本代表に選ばれました。これは当時の男子最年少記録でありました。この頃から水谷隼さんはレベルが違っていたのでしょう。

 

水谷隼の嫁の旧姓や出身は?

 

水谷隼さんには自慢の美人嫁がいます。嫁の名前は「海那(みな)」さんと言います。水谷隼さんと嫁は同じ青森山田中学、高校の出身で、嫁も卓球をしていたことから出会ったようです。

 

画像出典元:MAKE UP NEWS

 

青森山田中学、高校に在籍していますが、嫁の出身地は栃木県南東部にある市貝町出身です。やはり、親元を離れて青森山田中学の寮に入っていました。

 

水谷隼さんと嫁は3歳違いなので、水谷隼さんが高校1年の時に嫁は中学1年です。嫁の卓球の腕前もかなりなもので将来を期待されていた様子。出会いは卓球だったとありますが、どういう経緯で交際に発展していったのかはわかりませんでした。

 

ただ、水谷隼さんの嫁は当時、スウェーデンで卓球選手をしていたそうです。ですが、水谷隼さんとの結婚を決意し、卓球を辞めて日本に帰っていました。二人は7年交際して2013年11月に結婚。嫁は完全に水谷隼さんをサポートする側に変わりました。調理師専門学校に通い食事面もサポート。アスリートの嫁としての見本のような女性です。

 

水谷隼さんの嫁の旧姓も調べてみましたがわかりませんでした。今は水谷海那として水谷隼さんを支え、癒し、力を与えている存在なのは変わりありません。

 

水谷隼さんのまとめ

 

 

というわけで、今回は水谷選手についてみてきましたがいかがでしたでしょうか? なんだか色々調べるにつれて、水谷隼さんの卓球の強さの秘訣が分かったような気がします。自慢の嫁と子供(娘)に囲まれ、卓球も家庭も順調な様子。

 

実際、水谷隼さんも子供時代から将来を見据えて活動してきました。その夢が本当に叶うなんて努力は裏切りませんね。引退宣言が本当に寂しいですが、今後も卓球界を変えていく存在であることは間違いありません。

 

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